主よ、祈りをおしえてください(2) はじめの一歩(その2)

2010年3月24日

Ste. Em.003神はわたしたちを無から引き出し、いのちを与えてくださった、何かの目的のために。 前回こう語りました。

人間は神の似姿

ではわたしたちは神から操られるままなのでしょうか。いいえ、神は横暴な専制君主で はありません。それどころか神はご自分が創られたものが、あるがままに尊重され、それがもつ様々な能力を使って神の創造の業に協力することを切に望んでおられます。絶え間なく続けられる神の創造に自由に参加すること、これこそ神が人間に与えられた根本的な尊厳です。神の限りない創造の力に、一人ひとり違う能力、違う個性、異なった生き方を通して「創造的」に協力することが、神の似姿に創られた人間の偉大さです。

たとえば、伝統的な芸術の世界、あるいは職人芸の世界で、師は弟子に自分のもっているものを伝えるだけではありません。弟子は師から学ぶと同時に、自分の個性をそこに注ぎこんで、今度は自分が師となり、次の人へと伝えていきます。わたしたち一人ひとりは、神という最高の師からいのちを受け継ぎ、そのいのちを創造的に生きながら次の世代に伝えていくのです。

恐れずに祈り求めましょう

「世界をお造りになった方が、人々を救うために小さな貧しい者の祈りを待っておられる のです。」

この言葉は、幼きイエスの聖テレーズが、「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」(マタイ9・37〜38) という聖書の句から受けた深い驚きを述べているものです。

ther3全能である神がわたしたちの 祈りを待っておられる、それは確かに驚くべきことです。テレーズはさらに続けます。「イ エス様はわたしたちぬきでは何もしたくないと思っておられます。」  そうです、わたしたちは祈ること、願うことでまず神に協力するのです。

しかも人間の 力をはるかにこえること—残念ながらそのような場合がほとんどですが—を神に願い求め るとき、わたしたちはそれによって神の力をあかししていることになります。

まず祈り求 めましょう。

わたしのこんな願いを神が聞いてくださるかどうかなどと心配する必要はあ りません。それは神の問題ですのでお任せしましょう。わたしたちがすることは子供のよ に手を差し出すことだけです。  (続く)

文:中山真里 ndv