ノートルダム・ド・ヴィ(いのちの聖母会)

聖母こそ真の創立者

num 2006-02635南フランスのプロヴァンス地方にある小さな村、榎(えのき)のおいしげる谷間のヴナスク村に、聖母はノートルダム・ド・ヴィの創立のために、すでに場所を備えておられました。それは7世紀の昔から巡礼地として親しまれていた古い聖堂でした。聖母はそこでさまざまなしるしを通して、ご自分が真にノートルダム・ド・ヴィ、「ノートルダム」は中世の呼び方で聖母マリアを示し、「ヴィ」は「いのち」、つまり「いのちの聖母」であることを示されていたのです。ですから、ノートルダム・ド・ヴィの真の創立者は聖母であるともいえます。マリー=ユジェーヌ神父(マリー・エウジェンヌ神父)は次のように述べています。
「ここで、聖母マリアはいのちの母です。私たちがいるのは、聖母の家です。マリアはこの場所を、ご自分の豊かなめぐみと、力強い実りの力を示すために選ばれました。」

1932年以来、マリー=ユジェーヌ神父はこの生命の聖母に強く心をとらえられ、聖母は師を選んでご自分の創立の道具とされました。師は司牧に携わる中で、カルメル会の教えを喜んで受け入れる多くの人々がいるのに気がつきました。「祈り」によって聖性に至る道はすべての人に開かれているにちがいない。修道院の中ではなく、社会のただ中でカルメルの教えを生きながら、それを伝える人々がいてもいいはずだ、とマリー・エウジェンヌ師は考えました。しかし、その考えは自分のものではなく、神からのものであることをよく承知していました。死の7ヶ月前にも再びこう語ります。
「ノートルダム・ド・ヴィを創立したのは聖霊であるということ。聖霊がすべてを行い、すべてを開花させ、会をその完成へと導いてくださるということ。それがわたしの心の奥底にある深い確信です。」

三本の枝をもつ樹

アジアの会員達とともに

アジアの会員達とともに

一見、なんの脈絡もないように見えるさまざまな出来事が、神の計画という一枚の布を織りなしていきました。そのような出来事に導かれた人々が師のもとへ寄り集まってきました。師が待ち望んでいた神の生きた道具となる人々で、彼女たちは、師の父親のような導きのもとに、高い理想を生きるのに何ものも惜しみませんでした。

三本枝の燭台の前で

三本枝の燭台の前で

この女性のグループは、その萌芽の頃、1932年、からすでに教会によって認められ、1948年には、在俗会として認可、一九六二年には教皇庁により認可された在俗会となりました。その後は、在俗の男性の部、そして司祭の部も生まれ、マリー・エウジェンヌ師にとって大きな喜びと深い希望の源となりました。

創立以来の師の協力者であったマリー・ピラは、師の死後、師が当初から思い描いていた計画を実現に導きました。その計画とは、司祭、男性、女性の部が、一本の幹から生えでる三本の枝のように、それぞれ独立しながら同じ一本の樹となることでした。1973年には、その願い通り、三本の枝をもつ一本の樹として教会から認められたのです。現在、会は600人以上の会員をかかえ、世界のさまざまな国で創立されています。

社会の中で「祈りの使徒」として

女性の会員のフィリピンでの授業風景

女性の会員のフィリピンでの授業風景

建築現場で働く男性の部の会員

建築現場で働く男性の部の会員

ノートルダム・ド・ヴィの会員は社会の中で生きる使命をもっています。男性の部、女性の部の会員はそれぞれ社会の中で職業につきながら会の精神を生きます。司祭たちは、教区の司祭として司牧にあたるか、あるいは会に直接かかわる使徒職、つまり、会所有の黙想の家で黙想会や祈りのセミナーの指導にあたるなどを通して創立者の教えを広めることに従事しています。

どの部に属し、どのような場で働こうが、会員すべての目標は、生ける神の証人となり、人々を神との親しさの深みに導くことです。そのためには、まず会員自らが神との親しさに生きる必要があることは言うまでもありません。2年間の堅固な修練は会の「祈りの家」で行われ、会員は祈りの実際的な修練を積み、絶えまなく神とともに生きることを学ぶのです。祈りは、ノートルダム・ド・ヴィの土台であり、そのためには、謙遜に自己を与えつくすことが求められます。

若者のための長崎巡礼

若者のための長崎巡礼

ノートルダム・ド・ヴィの司祭たち

ノートルダム・ド・ヴィの司祭たち

マリー=ユジェーヌ神父は、会員たちが祈りの使徒となることを望みました。社会に散らばって、会員はひとりで、あるいはまたグループで生活します。社会人として職業に従事しながら、平凡な生活の中で徹底的な奉献を生きます。生き方で神を証しするこのような在俗会員の使徒職は、しばしば沈黙のうちに行われます。

そして会員の神への歩みを支えるのが、ミサと日々の祈り、さらには、年一回の「祈りの家」での黙想です。こうして人々と神へと向かいながら、会員は愛の成熟を目ざして歩みます。

子供のための祈りの集い

子供のための祈りの集い

会の創立者の跡をたどりながら、ノートルダム・ド・ヴィの会員は、あらゆる場所で神に渇く人々ができるだけ多く、「神と出会う」よう共に歩むのです。それが会員の使命です。マリー=ユジェーヌ神父は、この使命を自分自身のものとして認めていました。ある日、師は深い確信をもって次のように述べています。
「人々を神へと導くことが、神からわたしに与えられた使命です。」