A:祈ろうとすると、気が散るのは、人間である証拠です!たとえ聖人であっても、祈るときに気が散らなかった人はいません。ですから、気が散るから祈りに向いていないなどということは、決してありませんので、まず、そのことを心配しないでください。
祈りのプロであったアヴィラの聖テレサでさえ、気が散ることにどれだけ苦しんだかを、切々と語っています。テレサいわく、「天体の運行をとめることができないように、わたしたちの考えもとめることができない」のです。
大切なのは、気が散っても気にしないことです。そして、静かに心を神へと向け直すことです。その時、好きな聖書の一節や、覚えている祈りを静かに唱えると心が落ち着いて、神の方へと心を向け直すことがやさしくなることもあります。祈りは、この繰り返しです。
それに、気が散ることの効用もあるのです!それは、自分が何を考えて生きているかということを教えられるということです。時に、恥ずかしいような体験でもありますが、自分が何にとらわれているのか、何を気にしているのかを知る絶好の機会でもあります。それは、謙遜を学ぶ機会にもなります。
ですから、気が散っても、決して気にせずに(それは、人間の条件なので)そして、決して祈りをあきらめないでくださいね!
Q5:祈ろうと思うと、気が散ってしまい、祈れません。私は、祈りに向いていないような気がするのですが…?
2010年6月15日