確かに、祈りは「呼吸」です。と昔から言われてきました。
呼吸をしないと、生きていけないように、信者として生きるためには、祈りが必要なのだと。
マザー・テレサの言葉を借りると、
祈りは喜び、祈りは力です。
祈りは、ガソリンのようなもの、それがないと私たちという車は走れないのです。
なぜなら、洗礼の時の神の恵みを育てるためには、祈りの水が必要だからです。そして、毎日の生活で、人を実際に愛そうとした時、祈りの中で、神からの愛と力をいただかなければ、わたしたちの中には、その力がないからです。
愛は、神からきます。ぶどうの木は、イエスで私たちはその枝、枝が木につながっていなければ実をむすべないように、祈りでイエスにつながっていなければ、実を結べないどころか、いつか枯れてしまいます。
マザー・テレサでさえ、祈りの時間がなければ、貧しい人々に仕え続けることは、決してできないと言っています。
わたしたちも、祈りがなければ、イエスにつながって生きることは難しいのでは、ないでしょうか。
Q2: 洗礼の時、神父様に「祈りは大切です。」と言われたのですが、なぜ祈らないといけないんですか?
2010年6月15日