5月から8回にわたり、片山はるひ (ノートルダム・ド・ヴィ会員)による
「暗夜」を照らす炎 - 十字架の聖ヨハネ、 リジューの聖テレーズ、マザー・テレサ-
を連載しています。なお、この講話は『危機と霊性』
(日本キリスト教団出版局、2011年)に収録されているものです。
第7回目の今日は マザーテレサの生涯と『暗夜』 をお送りします。
では、マザーテレサの「暗夜」をその生涯においてまず位置づけてみましょう。
1910年 ユーゴスラビアのスコピエでアグネス・ゴンジャ生
1919年 父ニコラ急逝
1928年 インドのベンガル宣教への召し出しを受け、ロレット修道女会入会。インドで修練。
1931年 初誓願。修道名は、シスターテレサ
カルカッタのセントメリー高校で教え、校長をも務めた。
1946年 カルカッタで宗教紛争、大虐殺起こる。
9月 ダージリンでの黙想に向かう車中で、「神の愛の宣教者会」創立の
召し出しを受ける。
1948年 ロレット修道女会を離れて、カルカッタのスラムに移り住む。
<1949年から1997年の死去まで48年間、常に「暗夜」の状態にいた。
1958年ピオ十二世の追悼ミサの際「暗夜」は一時消えるが、また「暗いトンネル」に入る>
1950年 「神の愛の宣教者会」創立
以後、「死を待つ人々の家(ニルマル・ヒルダイ)」、
「子どもたちの家(シシュ・バヴァン)」、「療養者のためのセンター(プレム・ダン)」
など数多くの施設で活動を行い、数多くの国に創立をおこなう。
1979年 ノーベル平和賞受賞。
1997年 9月5日 87歳で死去。インド政府による国葬。
以上のように、マザーの「暗夜」は、1958年に一ヶ月ほど消えたのみで、後は八七歳で帰天されるその時まで48年間続いたことになります。
マザーテレサの手記における「暗夜」
1961年 霊的指導者であったイエズス会士ノイナー師にあてた手紙は、マザーの内的心境を知る上で重要な文書であるとされています。
「私の魂の神の場所は空白です。私の内に神はいません。神をこれほど望んでいるというのに、そんな風に感じるのです。神は私を望んでおられない。天国、魂、これらの言葉はわたしにとって意味がないのです。わたし自身の人生は矛盾に思えます。魂を助けているといっても、いったいどこへ行くために…、なぜ、このように働いているのか?この拷問のような心の苦しみを説明することはできません。(中略)
私は自分の人生において、神のみを求めています。「仕事」は神のためのみのものです。(中略)
以前は、主に語り、主を愛して、何時間も祈り続けることができました。いまや、きちんと黙想することすらできません。(中略)でも、仕事をしているときや、人々に会って居るときに、わたしの内に、誰かが本当に近くに生きておられると感じるのです。それが、なんであるのかわかりません。でもしばしば、ほとんど毎日、神への愛は実際に深まってゆくのです。」
この手紙の前半では、「恐ろしいほどの喪失感( terrible sense of loss)」が吐露されています。が、同時に、後半において、自らの内に生きた存在が感じられることもまた語られています。この手紙からは、「暗夜」を嘆きつつもそれを受け入れ、人々への倦むことなき愛の源がまさにこの「暗夜」のただ中にあることが明らかにされています。
マザーの初めの霊的指導者とも言えるペリエ大司教は、すでに1955年、マザーの魂の「暗闇 (darkness)」が霊的「暗夜」であることを見抜き、マザーに以下のように書き送っています。
「神はしばしの間、ご自分を隠しておられるように見えるだけです。それは苦しいことでしょうし、それが長い間つづけば、心の殉教にもなりうるでしょう。アヴィラの聖テレサも小さき花(テレーズ)も、そのような状態を通りましたし、ほとんどの聖人がそうであったとも言えるでしょう。」
また、1956年2月9日付けの手紙、マザーに十字架の聖ヨハネの教えの要約を送り、補足を加えています。
「あなたが明かされたことは、神秘生活において全てもうよく知られたことです。そして、それは神の大きな恵みです。」
確かにマザーテレサとテレーズの「暗夜」は非常に良く似通っています。
まず、二人とも周囲へは沈黙を守っています。テレーズの場合、同じ修道院の姉妹は何も知らず、実の姉にさえ、試練がはじまって数ヶ月後に打ち明けたのみです。マザーの場合も、会のシスターや司祭には何も告げず、霊的指導者にのみ告白されたのみです。これは、どちらの場合も、周りの人々へ動揺や混乱、あるいは誤解を与えぬための配慮と思われます。
また、二人とも自分の状況を自ら理解し言語化するまで、苦しみ、試行錯誤します。テレーズの場合は短く、マザーの場合はこの状況が続きますが、それは十字架の聖ヨハネ自身この「状態を報告しようとしてもそれができない」と述べている通りです。 ただ先に述べたヨハネの「霊の暗夜」にいる人の状態とマザーの手記をあわせて読めば、それが全く同じ内的状態を描写していることは明らかです。
もしマザーがテレーズについての現在の研究を全て読むことができれば、自分の状況をより早く明確に把握することができたかもしれません。しかし、自叙伝の完全な形が出版されたのは、1956年で、テレーズの『暗夜』についての研究書が出版されるのはそれ以降のことです。その頃には、マザーは創立以降の多忙な生活の中で、読書に割ける時間も、本を手に入れる予算も持ち合わせなかったことと思われます。
マザーが味わった「神の不在(absence of God)」、「孤独(Aloneness)」、「空しさ(Emptiness)」、「必要とされていないこと(unwanted)」などは、全て最も現代的な病であり、貧しさです。テレーズがその時代の無神論的闇を背負ったように、マザーもまた現代の闇を背負いその闇に同化しつつキリストの贖罪の業に参与したと言えるのではないでしょうか。
(つづく)
文:片山はるひ
次回掲載(最終回)は12月中旬の予定です。
注:
24. Mother Teresa, Mother Teresa Come be my light, Rider,2008,pp.209-212.
25.Ibid., p.158.
26.Ibid., p.164.
27.『暗夜』前掲書、247頁
前回までの掲載分はこちら
第1回掲載 『現代の闇』
第2回掲載 十字架の聖ヨハネ 『感覚の暗夜』
第3回掲載 十字架の聖ヨハネ 『霊の暗夜』
第4回掲載 十字架の聖ヨハネ 『愛による浄化』
第5回掲載 リジューの聖テレーズの『暗夜』
第6回掲載 リジューの聖テレーズ 『信仰の試練』