2010年に掲載しました『福者三位一体のエリザベット』を再掲載しています。今回は第2回目 執筆者はノートルダム・ド・ヴィ会員 伊従信子さんです。
エリザベット「あなたの名は神の家」
エリザベット十一才の初聖体の日でした。ディジョン市の聖ミッシェル教会では、初聖体記念にカルメル会修道院を訪問する習慣がありました。その日、初聖体を受けた子供たちは一人ひとり、院長様からカルメル会改革者大聖テレサの祈りのご絵をいただきました。
何ごとにも心を乱すことなく
何ごとも恐れることはない
すべては過ぎ去っていく
神のみ変わることがない
忍耐はすべてをかちとる
神とともに生きるものには
何も欠けることがない
神のみで満たされる
そのご絵の裏には、次のように書かれていました。
あなたの祝された名は、このよき日に成就する一つの神秘を秘めています。あなたの心は地上において、愛である<神の家>エリザベットです。
・・・神とともに生きるものには何も欠けることがない。神のみで満たされる。・・・あなたの心は地上において、愛である<神の家>!!! エリザベット<神の家>、自分の名の神秘は、わからないもののエリザベットの心に深く刻まれました。それ以降、子供ながらも非常に真剣に神の内在の神秘に魅せられ、その神との親しさへと徐々に引き込まれていきました。
この恵みは、エリザベットにとって<からし種>のようでした。そのとき、この種がどんな大きな木に成長し、多くの実を結ぶか想像していなかったことでしょう。しかし、日々の平凡な生活の中で、表面的には何も変わることなく、この<内在する神との親しさ>の根は育まれていきました。
<あなたは神の家>と知らされたエリザベットは、この神秘を十一才の子供の日常生活で生きはじめたことに心を留めましょう。決して修道院の静かな生活、教会で長時間祈ることではありませんでした。もちろん、教会の前を通るときは必ず立ち寄って聖体訪問をすることはあっても。
エリザベットが八才になったとき母親は芸術的都市ディジョンの音楽学校に娘を入学させました。エリザベットはピアノの前で毎日長時間過ごし、種々のコンサートにまだ足がピアノのペタルに届かない頃から積極的に出演しました。その努力と才能は終に十三才のときピアノ科一位の賞を受けるほどでした。そんなエリザベットが音楽会出演前に、大変緊張していた友人にエリザベット特有の秘訣を語っています。
・・・・神さまがあなたの小さい指先にまでみちみちてくださいますように。そうすれば誰と競争しても負けることはないでしょう。おじけづかないで。わたしの秘訣を教えましょうか。それは聴衆のことは全く忘れてしまって、ただ自分と神さまだけを信じること。すると自分の全身全霊をもって神さまのために弾くことができ、力のある、まろやかな、しかもしんみりとした穏やかな音を楽器から出すことができるの。神さまにこのような話し方をするのがわたしは本当に大好き。
華やかな舞台において聴衆を魅了し、賞賛の拍手のうちに感激する・・・そのような成功を眼前において演奏するなら確かに自我は震えおののく・・・エリザベットはただ自分の最善を尽くす、自分のうちに愛するものとして住まわれる神のために弾く。そこには<自分、自分>の我欲はありません。少女とはいえすでに自分から脱し、愛するもののうちに憩う観想的態度を日々の具体的出来事の中で培っていたのです。夢中でピアノに向かうその同じ熱意をもって、休暇中には友達たちと遊びに、晩餐会、お茶会、音楽会、登山に興じていました。
パーティやお祝いの席にでるとき、唯一の慰めは、自分のうちに潜心し、そこに住まわれる神にまなざしを向けることです。最愛の方、・・・・あなたのことをほとんど考えることのない人々の集まりの中で、こんなにも貧しくつまらない一つの心が、あなたを忘れていないのをあなたはきっとよろこんでくださるような気がします。
このエリザベットの日記は、他の人々と外見上同じ出来事を生きながら、自分のうちの奥深くの神秘、神の内在に徹して生きようとしていたかをわたしたちに伝えてくれます。
どんな生活様式であっても、子供であっても、高齢者であっても、早すぎることもなく遅すぎることもなくわたしたちのうちに住まわれる神は、ご自分との親しさに招かれています。大切なことは同意し、「神にはわたしのうちに、わたしは神のうちに」を生きはじめることです。
つづく
伊従信子
前回掲載分はこちら↓
三位一体のエリザベト(1) 永遠の今を生きる(前半)