三位一体のエリザベト(1) 永遠の今を生きる(前半)

2016年1月21日

こちらは2010年3月に掲載しました記事ですが、その頃はまだHPを読んで下さる方がまだ少なかったので、その頃の記事を少しずつ再掲載して行こうと思います。

今回は 『三位一体のエリザベト(1)  永遠の今を生きる (前半)』 執筆者はノートルダム・ド・ヴィの伊従信子さんです。

エリザベット<右>と妹ギット

エリザベット<右>と妹ギット

時間がない

毎日、わたしたちは時間がない、時間がないと言って走り回っています。もっと時計がゆっくり回ってくれたらと願いながら。時間がないとため息をつき、嘆き、それで疲れてしまうような毎日。<時間がない、またあとで、 時間がない、ではまたいつか・・・・>。みんな時間をむだにしないようにと急いでいます。時間を追いかけるように急ぎ、時間に間に合うように急ぎ、時間を節約するように急いでいるのでしょうか。

狂騒的<時間切れ>の生活にどっぷり浸かったわたしたちに、時間そのものを超越している神の現在の秘義、<永遠の今>を端的に生きたひとりの人、三位一体のエリザベットに耳を傾けてみましょう。二十世紀のはじめ、この若いフランス人は、その短い生涯をかけて自分の存在の奥深くに住まわれる神とともに生き、その豊な現実、そのよろこびをまわりの人々に伝えました。

エリザベットは生ける神がわたしたち一人ひとりを愛しておられ、その神が心のうちに住まわれていることを深く体験しました。しかし、それは個人的な特殊な体験ではなく、すべてのキリスト信者のための普遍的な生き方であることを理解しました。<神がご自分との親しさに生きるよう私たち一人ひとりを招いておられ>、そして<この神との親しさは隣人への愛を豊にする>というメッセージを日記、メモ、手紙などに残しました。

これから何回かにわたって、エリザベットのことばを紹介したいと思います。それは単なることばを越えて、わたしたちの心を揺り動かし、生かそうとする力があります。

神との親しさへの招き

主とともに生きてください。すべての人々に、力・平安そして幸福のすばらしい泉をどうしたら見つけることができるのか伝えたいと思います。ただ神とのこの親しさに生きることに同意しさえすればよいのです。

エリザベットが示す平和・幸福の泉は決して特定の人たち、神秘家・観想家・修道者たちだけがいたる泉ではありません。神を信じ、神との親しさに生きることを決意するすべての人の泉であることをはじめに確認しましょう。

そして、この泉にいたるために大切なことはまず同意すること。神との親しさに生きたい、生きようと決意すること。この確固たる決意は、すでに<力・平和・幸福のすばらしい泉>への一歩を踏み出したことになるのです。

それでもまだ「私のためではない」「私にはできない」と思う方にエリザベットは助けを提供します。

エリザベットは死を直前に控え、次のようなことばを残しました。

天国での私の使命は、人々を自分自身から解放させ、単純かつ愛に満ちた動きによって神に身を任せるように誘いかけ、助けることです。神はご自分に身を委ねたものの心の奥底に、ご自身を刻み込み、彼の似姿へと変えようとなさいます。それで、そのために必要な沈黙を自らのうちに深めて、そこに人々が留まるように助けます。

わたしたちはとかく日々の生活の中でそれぞれ何かに<こだわって>生きています。自分のやり方、自分の好み、自分の能力、自分の成功、それでなければ自分の無力、自分の、自分の・・と結局は自分にこだわり、しがみついて生きてしまいがちです。エリザベットはそのようなこだわりから私たちを自由にし、信仰のまなざしですべてを見、神との親しさに生きるように助けてくれると言うのです。確かに彼女は生前何度となく「自分を忘れること」の大切さについて話していました。

聖なる人とは、常に自分を忘れ、自分を省みることなく、造られたものにまなざしを向けず、愛している神のうちに全く姿を消してしまうので、聖パウロが次のように言ったような人だといえます<生きているのはもはや私ではなく、キリストこそ私のうちに生きておられる。> ガラ2-20。このような変容に達するには確かに自我から解放されていなければなりません。でも恐れることはありません。」

とエリザベットは友人に書いています。信頼して、心を神に開き、わたしたちが罪人であったときおん独り子をわたしたちに遣わされた神の愛に信頼するように。この信頼さえあれば何もおそれることはないのです。

主を愛したいのにあまりに小さなものなので、主ご自身であなたの内で一切のことをしてくださいと願ってください。神の小さな子供としてとどまり、いつも身を委ねて、神の愛のうちに憩っていることは大変すばらしいことです。

でも、エリザベットは一体どのようにして神の内在の神秘を知ったのでしょうか。そして、どのようにして実践したのでしょうか。

つづく

伊従信子