カルメルの霊性 神と親しくなるために(17) カルメル山の聖母

2011年7月10日

神と親しく生きるために     

幼きイエスのマリー・エウジェンヌ神父 ocd                                      

                          

カルメル山の聖母

カルメル山の聖母

                                

  母が そこにおられる、

闇の中で見守っていてくださると知ることは

子どもの心をよろこび躍らせます。

力を新たにし希望を立て直し光と平和をもたらします。*

ー幼きイエスのマリー・エウジェンヌocdー    

 

うっとうしい梅雨の日々に雨にぬれて美しく変容していく紫陽花の花は今日もまた、昨日とはちがったブルーの深みを増したようです。

7月16日カルメル山の聖母の祝日の頃はもう梅雨も終わっているでしょうか。雨でも日照りでも、私たち一人ひとりにとってマリアは常に母です。

20日は聖エリヤの祝日。彼が活躍したのはバアルの神を人々が拝む罰として雨が断たれていた時でした。イスラエルの民が「主が神である」と宣言した後、エリヤはカルメル山の頂で祈り、「人の手ほどの小さな雲」が海から立ち上がるのを見ました。この雨雲にエリヤは子をはらんだ処女を眺めたと初代修道者に関する資料にあります。エリヤの預言者的信仰のまなざしは、そこに「命」そのものであるキリスト、恵みの雨の前兆を読みました。後日「人々に命を与える」あがない主は「命の水」に渇いている人々の心を潤すことになります。

マリアよ 

あなたを眺めるだけでは 私にとって十分ではありません。

私の祈りと生活の貧しさは 私を絶望的にさせます。

慈しみの母、マリアよ、あなたのうちに私は逃れたい。

悲しみ、勇気を失っているときこそ聖母は私たちの身近におられます。

ちょっとした心細さや悲しいしぐさとか、見かけは意味がないような出来事などによっても、確かにマリアがそこにおられることがわかります。

闇におけるマリアは、母、

まことに母である、母でしかない、子供の弱さをつつむ母。*

伊従 信子

ノートルダム・ド・ヴィ

*『神と親しく生きる いのりの道』より、聖母の騎士社