
十字架の聖ヨハネの教え
十字架の聖ヨハネの教えの底には、表面には必ずしも現れない神への渇き、突き上げるような望みがあります。
福者マリー=ユジェーヌ神父ocdに導かれて
通常 この点は強調されていませんが、とても大切です。それはちょうどエンジンであり、神の息吹なのです。
どんなことがあっても、神へ向かいたい、何にも妨げられないで、 神に到達したいと望む人のうちにある神の息吹、すべてを通り越して 神へと向かう動きです。
十字架の聖ヨハネの「ひかりの道を行く」伊従信子「編・訳」聖母文庫、聖母の騎士社
十字架の聖ヨハネを糧として
ああ!わたしのすべての希望が実現されたとは、とても信じられません。
テレーズの言葉 (帰天1か月前の9月30日)
かつて、十字架の聖ヨハネの言葉を読んだとき、聖人の言われることを わたしのうちで行ってくださるよう、神さまに懇願しました。そして聞きいれられました!
柔和な人とは、隣人を忍び、自分自身を忍ぶことを知る人である。十字架の聖ヨハネ
テレーズはアニェス院長(次姉)に「四旬節の過ごし方」を聞かれ、 「<わたしは柔和で謙遜である、わたしに倣うものとなりなさい> とのキリストの言葉を実行すること」と答えました。
カルメル誌 折々の言葉(5) 伊従信子
それが四旬節と何の関係があるのか院長は戸惑ったと伝えられています。いちばん忍び難いのは自分自身かもしれません。このことに気づくと隣人はもっと忍びやすくなるでしょう。
















