『現代人のための祈りの道 – アビラの聖テレサとともに』(6) 

2014年4月14日

例年、東京 上野毛にあるのカトリック上野毛教会聖堂で、四旬節中の日曜日に行われる
『カルメル会四旬節講話シリーズ』 

昨年は【神との出会いを求める人々の母 聖テレジア – アビラの聖テレジアのテーマに沿って:2015年・生誕500年祭に向かって】をテーマに5週に渡り行わました。

 そのうちの一つを、ノートルダム・ド・ヴィ会員の片山はるひが担当致しましたので、
その講話を9回に分けてご紹介しています。

現代人のための祈りの道:イエスの聖テレサと共に

片山はるひ(ノートルダム・ド・ヴィ)

 

イエスにそそぐ心のまなざし

 

人間の意識は同時に二つのことは考えられないため、その意識をイエス・キリストでいっぱいにすることが、雑念を避けるためのもっとも良い方法なのです。イエス・キリストの現存、つまりイエスが共にいてくださることを意識し、そのイエスと生き生きとしたかかわり、つまり対話をすること。これがテレサの祈りの根本です。『完徳の道』の二六章から二九章にかけて、テレサは様々な具体的な例をあげて、どのようにしてイエスとの親密さを築いてゆくかを丁寧に教えてくれています。

 

 「まず、第一にしなければならないのは、もうご存じのとおり、良心をしらべ、痛悔の祈りを唱え、十字架の印をすることです。それからすぐに、あなたがたはひとりぼっちですから、どなたかいっしょにいる友をお探しなさい。ところで、主イエスご自身以上に、良い友があるでしょうか。この主が自分のすぐそばにおいでになるとお考えなさい。どれほどの愛をこめ、どれほど謙遜にあなたに教えてくださるかをごらんなさい。私を信じてください。出来る限り、このような良い友なしにいてはなりません。」

テレサの祈りはシンプルそのものです。

 

「主について考え、たくさんの概念を作り出すことや、知性を使って立派で微妙な考察をすることをお願いしているのではありません。ただ主をながめることだけお願いしているのです。あなたがたの心のまなざしをただ一瞬だけ主に注ぐことです。」

 

つねにキリストとともに

テレサの教える祈りの特徴は、シンプルであり自由であることです。彼女は祈りを狭い枠や形式に閉じ込めようとはしません。「お鍋の真ん中にも主はおられます!」と語るのは、神への心のまなざし、神とのかかわりと対話があるのなら、祈りの形態は、自由であるということです。

ですから、祈りは静かな聖堂でしかできないものではありません。歩きながらでも、車の中でも、時には家の中で子ども達が寝静まった後の台所でも、神と対話することは可能であるからです。ただ、良い環境が祈りを学ぶ上で助けとなることは確かです。初めのうちは、静かな聖堂で祈ることを学び、それをまた生活の中に持ち帰って、祈りの時を持つ工夫をすることが大切でしょう。

祈りの仕方や形態については、おおらかなテレサがこれだけは決してゆずらない一点があります。それは、祈りの中でイエス・キリストを決して忘れないということです。テレサが生きていた時代に、イエス・キリストを黙想して祈るのは、初心者のためであり、もっと高い観想に達したら、イエスの人性は忘れてなければならないといった教説が流行していたことがありました。テレサ自身、その教説を信じて実行した時期がありました。そして後にそれを心から悔やみます。その時の自分がいかに無知、かつ傲慢であったかに気づいて。

イエス・キリストは道であり、真理であり、いのちです。キリスト者の祈りは、イエス・キリストにはじまり、イエス・キリストに終わります。現代でも、さまざまなカルトや諸宗教の影響で、テレサの時代と同じような誘惑がないとは言えません。その時に、テレサはキリスト者の祈りがどのようなものでなくてはならないかを教えてくれる確かな導き手なのです。

 (つづく)