なにか胸騒ぎがしたベルナデッタがルルドの洞窟へ向かうと、聖母はそこで待っておられました。でも、何も言われません。
最後となったルルドのご出現は「沈黙の聖母」でした・・・・
その日はちょうど7月16日、カルメル山の聖母の祝日でした。
一見したところ、あるいは本当に希望がない時、それはマリアの「時」です。
マリアは 全き母であり、母以外の何ものでもないからです。
*福者マリー=ユジェーンヌ神父
私たちは聖母の大きな母の愛につつまれていると感じる必要があります。聖母は私たちが必要とするものに区別をつけられませんから、魂とからだのすべてを委ねましょう。
霊的母性はすべてを包み込みます。私たちの置かれた状況がどのようなものであれ、 すべてを聖母の愛に委ねましょう。
*福者マリー=ユジェーンヌ神父
おとめマリアを母だと感じないキリスト者は、孤児なのです。
教皇フランシスコ
主は常に私たちをゆるし、ともに歩んでくださいます。問題は、私たちがそれを受け入れられるかどうかです。
教皇フランシスコ
7月は、16日~カルメル山の聖母、21日~聖エリア、22日~聖マグダレナ、26日~マリアの両親聖アンナと聖ヨアキムの祝日を祝います。
彼らの執り成しを願って、コロナウイルスにも、“暑さにも負けず” 祈りのうちに神との親しさを深め、多くの人々の苦しみをともに生きる日々でありますように。
伊従 信子(いより のぶこ)
ノートル・ダム・ド・ヴィ
*「聖霊とともに」