〈待降節特集〉待降節 -希望の時ー

2019年12月15日

毎年クリスマスを祝う度に、教会は私達に『み言葉が人となり,私達のうちに住まわれた』この神秘を思い起こすよう導きます。
私達の心の中にキリストをもう一度新たに住まわせると言っても良いでしょう。
人となられた み言葉ーキリストーは永遠に変わる事のない方ですが、神からの恵みと聖霊が私達を包み、私達を満たし、私達を霊的に変えていくのです。
私達は神との親しさに生きるよう呼ばれています。それに向かって歩んでいるのです。

目の前に広がる地平線を思い浮かべてください。
遥か向こうの地平線から夜明けの太陽が昇る時、最初は朝焼けが地平線上の雲を照らします。
太陽はまだ見えていませんが、雲を照らす朝焼けの光が、燦々と輝く太陽の到来を告げています。
この朝焼けが待降節です。雲を私達の人生の哀しみに例えるならば、雲を照らす朝焼けが、私達の人生を輝かせる大いなる光、世界に輝く光、イエス・キリストの到来を告げ知らせているのです。

待降節の間、特に幼子イエスにまなざしを向けましょう。
十字架の聖ヨハネとリジューの聖テレーズは待降節が好きでした。
待降節の間は彼らも修道院で行われる*幼子イエスのろうそく行列に参加していました。
(*カルメル修道会の修練院における伝統の一つ)
このろうそく行列は、ただ単に幼子イエスの小さな像を(院長が)懐き歩く行列ではありません。
ただの小さな信心でもありません。
それはキリスト・イエスの到来と、私達を包み込む恵みの力への、心から湧き上がる大きな希望への歩みと言えるのです。

福者幼きイエスのマリー=ユジェーヌ神父 1963年12月1日のミサ説教より抜粋
編訳:Y.Y.