愛のないところに愛を蒔きなさい
そうすれば愛を刈り取るでしょう
主の祝福をもってはじまった新しい年の日々 をどのようにお過ごしでしょうか。
「わたしは、神の民の忍耐の中に聖性を見るのが好きです」と言われる教皇フランシスコは「聖なるものになる」には、日々の生活の中で身近なことのうちに愛を育む必要があるとたびたび話されます。
家庭、学校、職場で愛がないとの嘆きをよく聞きます。十字架の聖ヨハネは、「愛は人から期待するより、自分から愛の種を蒔きなさい。そうすれば、たとえ時間はかかっても愛を刈り取る」と教えています。でも、それは言うほどやさしいことではありません。わたしたちはあまりにも自分にこだわって生きてしまいます。
「そうです、善を自分のまわりに蒔かなければなりません。でも芽が出るかどうか心配することなく…」とは小さき道を歩むテレーズ。
「≪愛の火をたやしてはなりません≫、闇夜や乾燥状態のただ中にいるときには、わたしたちの手の届くところに、たきぎを見つけることはできません。けれど、少なくとも小さなわらくずを投げ入れて火を保つのは、わたしたちにも出来ることではないでしょうか。」*とささやいて、テレーズはわたしたちの日々の歩みを応援してくださいます。
伊従信子(ノートルダム・ド・ヴィ)
* 『弱さと神の慈しみ』伊従信子 サン・パウロ社