呼ばれています 「聖なるもの」になるように
いつくしみ深い父よ、
あなたはユスト高山右近を選びの器として、
キリストのために十字架の道をたどる者とされました。わたしたちの弱さを力づけてください。自分のいのちを神と人のために惜しみなくささげた人々にならい、わたしたちも生涯、あなたのいつくしみをあかしすることができますように。*
2月7日ユスト右近は福者に挙げられます。その生涯を通して教会に与えてくださった神の恵みを感謝するとき、現代のわたしたち一人ひとりもそれぞれの生活環境で、「聖なるもの」になるように呼ばれていることを思いおこしたいものです。「現代の最も偉大な聖人」と呼ばれているテレーズのささやきが聞こえてきます。
『聖なるもの』となるとは、あれこれの徳を完全に実行することではありません。神さまのみ手のうちに自分を貧しく小さい者として、自分の弱さを知っておん父のいつくしみに大胆なまでに信頼する心構えのうちあるのです。」** 1897年8・6
「どうして、十字架をになえば途中でくじけてしまうなどと恐れているのですか。イエス様も、カルワリオへの道すがら、3度も倒れられたではありませんか。・・彼にあやかって必要なら100度でも倒れ、そして倒れる前よりもさらに勇気をこめて立ち上がり、主に対する愛を証明したいと思いませんか。」** 手紙1889年
伊従 信子(いより のぶこ)
ノートルダム・ド・ヴィ
*『右近と歩む祈りの旅』日本カトリック司教協議会列聖推進委員会
** 『弱さと神の慈しみ―テレーズとともに生きる』伊従信子編、サンパウロ