東京教区カトリック関町教会 テレジア祭2015の企画の一つとして
昨年9月27日に片山はるひが『テレサとテレーズ』というテーマで講話を行いました。
その講話を10回に分けてご紹介していきます。
今回はその7回目です。
『テレサとテレーズ』(7)
片山はるひ(ノートルダム・ド・ヴィ会員)
アビラの聖テレサの教え
私たちのうちなる神の現存
テレサというとやはり祈りということになりますが、その前提として大きな基盤になっているのが、「神の現存」、すなわち、“神はわたしのうちにおられる”という体験です。
テレサが教えてくれるのは、祈りの大切さ、祈りがなければ何も始まりませんということです。『自叙伝』の中でテレサはこういうふうに言っています。
突然、神の現存、神がおられるということが私に迫ってきて、神が私の内においでになる、また私が神の内に完全に沈められていることを全く疑うことができませんでした。
これはテレサのオリジナルかというとそうではなくて、福音書そのものです。ヨハネ福音書の14章をご覧になってください。
わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。(ヨハネ14・23)
イエスが言われた言葉です。「わたしの父はその人を愛され」、もちろんイエスご自身もその人を愛し、「父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む」。
これは私たちが普段あまり意識しないことかなと思います。教会に行くと神さまがいる。ただ、たとえば主の祈りですが、「天におられるわたしたちの父よ」とミサの中で、また日々の生活の中で祈っていらっしゃると思います。では「天」というのはどこでしょうか。普通なんとなく、(私たちの上の)天、skyという感じでとるかもしれませんが、けれども「天」は空ではありません。それではどこかというと、神のおられる場所が「天」なのです。いまの箇所では「一緒に住む」と言われているので、我々のうちに天があり、そこに神が住んでおられる、ということなのです。ですから「天におられるわたしたちの父よ」というときに我々が何を祈っているかというと、「イエスさま、神さま、聖霊さま、一緒にいます」ということです。
ですから、私たちはどこに行っても神とともにいるのです。そしてマタイ福音書の最後でイエスが何をおっしゃったかというと、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」〔マタイ28・20〕ということです。
これが私たち信徒の確信です。ここに私たちの喜びがあり、希望があり、信仰があります。
(つづく)
〔2015年9月27日 関町教会聖堂にて〕
まとめ=関町教会広報部