いつくしみの聖年を生きるために -3月―
神はすべての人を不従順の状態に閉じ込められましたが、それは、すべての人をあわれむためだったのです」(ローマ11・32)。事実、すべての人が、一人の例外もなく、いつくしみの呼びかけを受け取るよう招かれています。
~『イエス・キリスト、父のいつくしみのみ顔』特別聖年大勅書18~
どうして十字架をになえば途中でくじけてしまう、などと恐れているのですか。
イエスさまも、カルワリオへの道すがら、3度も倒れられたではありませんか。それなのに、か弱い私たちが、イエスさまにあやかろうとしないのですか。必要なら100度でも倒れ、そして倒れる前よりもさらに勇気を込めて立ち上がり、主に対する愛を証明したいと思いませんか。
~小さいテレーズよりセリーヌへ~
神さまのいつくしみを通して眺めるとき、神さまは正義そのもの、
つまり、わたしたちの弱さを斟酌なさり、
人間本性のもろさを完全に知り尽くしておられる、
と考えるのはなんと甘美な喜びでしょう!
ですから何を恐れましょう?
~『テレーズ自叙伝』237~
四旬節も半ばを過ぎました。
ご復活までの道のりを日々新たに神のいつくしみのうちに
過ごすことができますようにテレーズの励ましの言葉をお送りします。
伊従 信子(いより のぶこ)
ノートルダム・ド・ヴィ