待降節の喜びと希望

2021年12月19日

待降節とは、何かを「待つ」時ですね。
でも、私たちはいったい何を待っているのでしょうか?
この暴力と苦しみの多い世界にどんな希望があるのでしょうか?

今からほぼ2000年前に、小さな幼子が生まれた時も、
世界は、強い者が弱い者を平気で踏みつぶす世界、
小さな者たちの苦しみと叫びが満ちた世の中でした。
一体、神はいるのか? と多くの人々が救いを待っていました。

マリー・エウジェヌ神父は語ります。
「クリスマスを待ち望む私たちの「希望」は、
大きな喜びです。
なぜなら私たちが待ち望んでいるのは、一人の幼子。
ほほえみ、笑い、愛だけを伝えてくれる、一人の幼子だからです。
赤ちゃんを恐れる人は誰もいません。
だから、この幼子こそ、「わたしたちと共にいてくださる神」なのです。」

神は、いちばん弱いものとしてこの世にこられました。
すべての人の友となるために。
だれもが、おそれずに近づくことができるように。

でも、その幼子は、いずれその小さな命をすべての人のために
投げ出して十字架の上で息をひきとります。
すべての人に自分の愛を伝えるために。

当時の強き者たちのことを覚えている人はもう誰もいません。
でも、ベトレヘムで生まれた時は、
誰一人その存在さえ知らなかった赤ちゃんの誕生を
今、私たちは世界中で祝っています。
その幼子の運んで来た愛は、今世界に伝わり希望の灯火となっています。

「みこととばは、人となり、わたしたちの間に住まわれた。」
(ヨハネ1・14)
幼子によって与えられた希望を胸に、
この言葉を今日、繰り返し、味わい、祈ってゆきたいと思います。

片山はるひ(ノートルダム・ド・ヴィ)

candle