聖テレーズの両親 聖ルイ・マルタンと聖ゼリー・マルタン(4)

2015年12月4日

10月18日にバチカンにおいて教皇フランシスコにより、幼きイエスの聖テレジア(リジューの聖テレーズ)の両親が列聖されました。日本では余り知られていない、この2人の生き方と聖性を6回に分けてご紹介しています。今回はその4回目です。
執筆者はノートルダム・ド・ヴィ会員 中山真里さんです。

 

聖テレーズの両親 聖ルイ・マルタンと聖ゼリー・マルタン(4)

聖テレーズの両親

 

 

 

 

 

 

ルイとゼリーの受難(1)

最後の子供、テレーズが命の危機から救われてアランソンの両親のもとに帰った後、テレーズが最愛の母と過ごしたのはわずか3年でした。ゼリーの受難はすでに始まっていました。

ゼリーが病の兆候に気付いたのは34歳のときでした。その後、忙しさにまぎれて健康上の心配は隅に押しやられ、再び胸のしこりで苦しみ始めたときには11年の歳月が過ぎていました。手術もあまり意味がなく、医者もほとんど見放した状態となり、家族はうちのめされます。とりわけルイの苦しみがどれほどのものであったかは容易に想像がつきます。おそらく一番気丈夫であったのはゼリー本人だったことでしょう。彼女自身は今までもそうであったように、「神のみ旨」にすべてを明け渡していました。しかしただひとつ心配なこと、それは子供たち、とりわけ問題の多い三女レオニーの行く末でした。一家はそのため、ゼリーと3人の娘たちのルルド巡礼を計画し、ゼリーの奇跡的な回復を祈ったのです。

しかし、家族や弟一家の期待を背負って旅立ったルルド巡礼では数々の不運に見舞われ、ゼリーの回復どころか、結果的には旅行の疲労のために病の悪化さえもたらされることになりました。この巡礼の後、ゼリーは悟ります。マリア様はベルナデッタに語られたように、自分もこの世ではなく、あの世で幸福になるのだと。とは言え、ゼリーは最後まで回復を望みました。それは自分のためではなく、レオニーのためでした。そして亡くなる2か月前にレオニーを気遣う手紙を残し、ゼリー・マルタンは1877年に46歳の生涯を閉じました。苦労の多い人生のなかで、最愛の夫と子供たちにめぐまれ、徐々に幼少期の傷から解放されて愛を開花させていった生涯でした。

つづく
文:中山 真里