聖テレーズの両親 聖ルイ・マルタンと聖ゼリー・マルタン(3)

2015年11月20日

10月18日にバチカンにおいて教皇フランシスコにより、幼きイエスの聖テレジア(リジューの聖テレーズ)の両親が列聖されました。日本では余り知られていない、この2人の生き方と聖性を6回に分けてご紹介しています。今回はその3回目です。
執筆者はノートルダム・ド・ヴィ会員 中山真里さんです。

 

聖テレーズの両親 聖ルイ・マルタンと聖ゼリー・マルタン(3)

聖テレーズの両親

 

 

 

 

 

 

結婚生活

さて、ここまではよかったのですが、2人の結婚生活を襲う小さな波が早々と訪れます。ゼリーは結婚に伴う身体の交わりを突如聞かされ、動揺したのです。ルイはゼリーの動揺を理解し、結婚はしても兄弟姉妹のように暮らすことを提案しました。それはもちろんゼリーへの思いやりであったでしょう、と同時に、処女性に重きを置いていた当時の教会に従い、自分もまた修道者になりたかったルイ自身の望みでもあったのです。こうして10ヶ月が過ぎました。ルイとゼリーはその間、徐々に自分たちの真の召し出しを理解することになります。

結婚の召し出しは、決して修道者になれなかった自分たちの次の選択ではなく、それを真に生きることこそ神様が自分たちに与えられた道であることを。ですから、彼らの指導司祭がそろそろ兄弟姉妹のように生きることをやめてはどうかと提案したとき、彼らは素直にそれに従うまでに理解は深まっていました。そして子供ができたとき、ゼリーの思いはまったく変化していました。次女のポリーヌへの手紙のなかでゼリーはそのことを打ち明けています。

「子供ができたとき、わたしたちの思いはまったく変わりました。もはや子供のためにしか生きませんでしたし、それがわたしたちにとっての幸せでした。子供たちだけがわたしたちの幸福だったのです。つまり、もう何も辛いことはなくなり、「世間」はもはや重荷ではなくなりました。(…)子供がたくさんほしいと願いました、彼らを「天国にむけて」育てるために。」

ルイとゼリーの子供たちへの思いは、神への愛と相互の愛に深く結ばれていたといえます。相互の愛…2人はお互いを深く尊敬し、愛しあっていました。「わたしはルイといて相変わらず幸せです。彼は人生をとても心地よいものにしてくれます。わたしの夫は聖なる人です」と、ゼリーは結婚5年目に書きましたが、その思いは薄れるどころか15年目に書かれた手紙からさらに深まっていったことがわかります。ルイはほとんど手紙を書きませんでしたが、そのまれな手紙の最後に「生涯にわたって君を愛している、君の夫であり友」という言葉を書くのをためらいませんでした。

 

試練

しかし、ルイとゼリーが結婚生活に自分たちの召命を見出していったのなら、結婚生活に伴う苦しみも受けとめなければなりませんでした。おそらくその最大のものは様々な別離、とりわけ生まれてくる子供たちの夭折ではなかったでしょうか。

マルタン家は3年の間に5人の死を迎えました。ゼリーの父と4人の子供たちです。当時はまだ乳幼児の死亡率がきわめて高く、おそらくはすでに冒されていた癌のせいで授乳のできなかったゼリーにとってよい乳母が頼りでした。わたしたちはテレーズもまた生まれてすぐに乳母に預けられ、一時は生死の境をさまよったことを知っています。

テレーズの誕生に先立つエレンの死(1870年2月・5歳半)はマルタン家にとっておそらく最も苦しいものでした。さすがのゼリーもこのときばかりは心身ともに弱りはてました。毎日熱があり、頭痛におそわれ、働く気力もなくなりました。「わたしの小さなエレンのように少しずつ逝ってしまうように感じました。」次に生まれた最初の「テレーズ」もまたゼリーの膝のうえで臨終の苦しみを経て亡くなりました。

つづく
文:中山 真里