聖テレーズの両親 聖ルイ・マルタンと聖ゼリー・マルタン(1)

2015年10月18日

今日、バチカンでは教皇フランシスコにより、幼きイエスの聖テレジア(リジューの聖テレーズ)の両親が列聖されます。日本では余り知られていない、この2人の生き方と聖性を6回に分けてご紹介していきます。
執筆者はノートルダム・ド・ヴィ会員 中山真里さんです。

 

聖テレーズの両親 聖ルイ・マルタンと聖ゼリー・マルタン(1)

聖テレーズの両親

 

 

 

 

 

 

「橋」はいつの時代も「出会い」の場です。新たに聖人となったルイとゼリーの夫婦の出会いも、19世紀フランス北部の橋の上でした。ルイ・マルタン35才、ゼリー・ゲラン26才。いずれ、「20世紀最大の聖人」と呼ばれる「幼いイエスの聖テレーズ」が生まれ、育つマルタン家の、その最初の芽ぶきは、この誰にも知られない小さな出会いから始まりました。確かに、だれにも知られることはなかったとはいえ、本人たちは心の内に神からの呼びかけを聞き取っていたようです。

ルイとゼリーの列聖を機に、この二人の生涯を駆け足でたどってみましょう。

 

ルイ
ルイ・マルタンは1823年8月22日にフランスのボルドーで生まれました。父親はフランス軍の大尉であったため一家は駐屯地を転々とし、最終的にはアランソンに落ち着いたのですが、そのような移動の多い生活を通して、ルイのなかに規律と旅を好む性格がつくりあげられたことは確かなようです。そして、ルイ以外の子供たちが次々と他界し、ルイだけが一人残ったこともあったのでしょうが、ルイはとりわけ両親の愛情、そして信仰を一身に受けて育ちました。

 
ルイが時計職人として生計をたてることを決心し、時計職人の技術を習得するために両親のもとを離れたとき、彼の祝日(聖ルイ)に送られた両親の手紙は愛情と信仰への励ましに溢れています。2人とも直接にルイに会ってお祝の言葉を述べられないことを残念がりながらも、それが神のみ旨なら受け入れようと口をそろえます。そして母親は手紙の最後に一言そえます。「わたしの可愛い息子よ、いつも謙虚であってください。」確かにルイは生涯をとおして謙虚でした。そしてその謙虚さは、生涯最後の厳しい試練をとおしてますます深まっていったのです。自然を愛し、実直で、人々を愛しながら孤独もまた親友であったルイ。両親の深い信仰と愛情のなかで、彼もまた祈り、そして教会を愛しました。

 
そのようなルイにとって最高の喜びは、自然のなかで祈りに浸りながら野山をめぐることでした。ですから、ルイがスイスのアルプスを巡った際、2千5百メートルの山にたたずむGrand-Saint-Bernardの修道院に心ひかれたのは当然でした。しかし、修道院長は初め志願者の訪れを歓迎したもののラテン語を知らない若者を迎え入れることはしませんでした。ルイは重い心でそれが神の望みではなかったことを知るのです。
 

修道者への望みをあきらめたルイは、その後時計職人としての技術を完成させます。静かで観想的、そして手仕事に秀でていたルイの性格は時計職人という仕事にぴったりだったようで、ルイの評判はたかまり仕事では成功をおさめました。しかし、母親にとって唯一気がかりなことは、30も半ばとなった息子が相変わらず孤独を愛し、結婚する様子などほとんどないことでした。彼女は息子のために若い女性に目を向けはじめました。そして自分が通っていたアランソン刺繍の工房で出会ったひとりの女性にとりわけ興味をそそられたのです。

つづく
文:中山 真里