『闇』を貫く光 幼きイエスの聖テレーズ(テレジア)の霊性(11)

2015年8月25日

2014年9月28日(日)東京教区 関町教会において
ノートルダム・ド・ヴィ会員の 片山はるひ が
リジューの聖テレーズについての講話を行いました。
その講話を数回に分けてご紹介して行きます。

今回はその11回目 です。

『闇』を貫く光 幼きイエスの聖テレジアの霊性
片山はるひ(ノートルダム・ド・ヴィ会員)

15.テレジアの祈り

テレジアはカルメル会という観想会、祈りによる修道会に入っていました。ですが、彼女の教えというのは決してシスターだけのものではないのです。だから一般の信徒、あるいは信徒でもないいろいろな人々に彼女のことばが響いてきます。私の属するノートルダム・ド・ヴィでも皆普通の社会人として働いておりますが、やはりどんな生き方をしていても、男であれ女であれ、お父さんであれお母さんであれ子どもであれ、すべて神の愛を生きるということに招かれています。そのために必要なのは祈りです。彼女は祈りというのは決して気張らないでいいのだと言います。

 

テレジア1本当に、祈りの力は、なんと大きいのでしょう。

私は、字の読めない子どものように、難しい文章など作らず、ごく単純に神様に自分の言いたいことを祈ります。すると、いつでも主は、わかってくださいます。

私にとって祈りとは、心のほとばしりであり、天に向ける単純なまなざしです。

また、喜びのさなかにあるときと同じように、試練のさなかにも上げる感謝と愛の叫びです。祈りは、私の心を晴れ晴れと広げ、私をイエスに一致させてくれます。(自叙伝 355~356頁)

 

関町教会の標語に「テレジアのように祈り、ザビエルのように働く」がありますが、まさにそのとおりだと思います。その働きの原動力として、このような神との親しさがあります。――神はこわがらなくていい、愛の神であり、信頼できる方だからこそ、こうして祈りの関係によってつながることができる、その神の愛を伝えていくということにつながっていくのだと思います。

つづく