『闇』を貫く光 幼きイエスの聖テレーズ(テレジア)の霊性(10)

2015年8月18日

2014年9月28日(日)東京教区 関町教会において
ノートルダム・ド・ヴィ会員の 片山はるひ が
リジューの聖テレーズについての講話を行いました。
その講話を数回に分けてご紹介して行きます。

今回はその10回目です。

『闇』を貫く光 幼きイエスの聖テレジアの霊性
片山はるひ(ノートルダム・ド・ヴィ会員)

14.栄光の旋風

さて、ここからもうひとつの彼女の人生が始まります。いわゆる「栄光の旋風」というものが吹き荒れてきます。というのは1898年の自叙伝『ある霊魂の物語』がなぜこのような本になったのかというと、お姉さんが、「あなたは記憶力がよくてお話も上手だから、マルタン家の思い出を書いてちょうだい」と家族のこととして頼んだのです。そして従順なシスターですから、「はい、いいです」と答えて空き時間に書いて、お姉さんに渡したのです。お姉さんは「ありがとう」と言って引き出しにぽんと入れて終わりだったのです。

その後、だんだんとテレジアが死に近づくに従って、「この子にはなにかがある」「この子の言うことは大切だ」と周りの人にわかってきます。そしてテレジア自身にも「私にはなにか伝えることがある」と、それが神のみ旨だとわかってくるのです。

最初はガリ版刷りみたいなのだったのが、大評判になって本になります。最初は2000部の発行だったのが、口コミで知られ、お祈りして奇跡があったということなどが伝えられてきます。第1次世界大戦当時、フランスの兵士はみなテレジアの写真や本を持って戦争に行くのです。そうすると、うちの創立者のエウジェンヌ師もそうですが、「戦場で弾を避けてくれた」「戦場にカルメリットが見えた」という話もあり、テレジアの名声は一挙に高まります。本当にたくさんの奇跡が起こります。そして1923年頃になると、カルメル会に毎日800~1000通の手紙が届くようになるのです。シスターたちは大慌てです。

そして結局、列聖、1927年、フランシスコ・ザビエルとともに宣教の保護の聖人、1997年、教会博士になりました。お姉さんたちは長生きだったので、テレジアの列聖のときには生きていました。お姉さんたちは「お母さんが生きていたらなんと言ったかしら」と話していたそうです。

2つの歌詞を見てみましょう。

劇

 

♪いつしか夢が かなえられる

人々のなか とわの愛になる

 

♪聖女のことば 力強く

「この世が神を 愛するように」

 

 

テレジアの願いは、「愛が愛されていない。だから神の愛を愛させるように私はしたい」ということでした。

 

聖遺物これは遺骨を入れた箱です。テレジアはベルナデッタのように遺体が残っていません。この遺骨の箱がたぶん3つか4つあるのでしょう。これが世界中を回っているのです。そしてここで、奇跡があったとか回心があったとかで大人気となります。いたるところにウェイティング・リストがあり、なかなか来てもらえないのですが、来年の1月にはフィリピンと台湾まで来るそうです。

我々が家族のお骨を大切にするのは、やはりそれがその人だからです。彼女の遺骨はやはり彼女の思いが詰まっている彼女のプレゼンスすなわち存在なので、それをとおしてまたテレジアの教えが伝わり、彼女のことが知られていき、それはイコール、神の教え・神の愛が伝わっていくということです。そしてありとあらゆるところで多くの人を集めています。

つづく