『闇』を貫く光 幼きイエスの聖テレーズ(テレジア)の霊性(5)

2015年6月9日

2014年9月28日(日)東京教区 関町教会において
ノートルダム・ド・ヴィ会員の 片山はるひ が
リジューの聖テレーズについての講話を行いました。
その講話を数回に分けてご紹介して行きます。

今回はその5回目です。

『闇』を貫く光 幼きイエスの聖テレジアの霊性
片山はるひ(ノートルダム・ド・ヴィ会員)

9.召命

15歳のテーレーズこれがクリスマスの奇跡の後のテレーズです。さきほどのとはまったく違うひとりの少女が生まれたのです。ここからカルメル会に入るのだという召し出しを求めての闘いが始まるのです。

 

この夜以来、私はどのような戦いにも決して負けることがなくなりました。かえって勝利から勝利へと進み、いわば「巨人の足取り」で歩き始めるようになったのです。そして私を魂をすなどる者としてくださったのです。「私は渇く」という十字架上のイエスの心の叫びが、絶え間なく心に響くようになりました。(自叙伝 144~147頁)

 

実はテレーズはお姉さんのように、イエスにすべてを捧げて生きるという生き方に憧れていました。でもそれは無理だったのですが、ここで無理ではなくなりました。

「私は渇く」というイエスの叫びは、マザー・テレサの霊性のキーワードです。マザー・テレサの修道院に行くと、英語で“I THIRST”(私は渇く)と必ず書いています。もちろんこれはイエスの言葉なのですが、その背景にあるのはテレーズの言葉です。「私は渇く」というのはイエス自身が私たちの愛を待っておられるということです。愛の渇きであり、我々から愛されることをイエスは待っておられるのです。

 

さて、テレーズは15歳でカルメル会に入会することになります。

テレーズは小さいときには頑固でお母さんを怒らせた人です。結構プライドが高くてお母さんに叱られたりしています。意志の強さがあったのです。

当時カルメル会には15歳では入れませんでした。皆が反対しました。そんな子どもが入るところではないと。それが当時の常識だったわけですが、テレーズは聞きませんでした。テレーズは神さまの召し出しに応えたいと、なんとローマに教皇さまに会いに行きます。いわゆる直訴です。司教さまも反対、神父さまも反対、もちろん家族もみな反対でした。ただ、偉かったのはお父さんでした。お父さんにはわかっていたのです、これは本当の召し出しだと。

お父さんはテレーズを連れてローマに行きます。自分の最愛の子がカルメルに入るとわかっていてです。それだけでも確かに聖人と言えるのかもしれません。

 

リジューこちらに写っているのが煉瓦造りのリジューのカルメル会です。これは内部ですから我々には見えないところですが。リジューはパリから電車で1~2時間というそんなに遠くないところにあります。リジューはテレーズの町です。カテドラルがあり大聖堂がありカルメルがありビュイソンネがあり、だいたいはテレーズが目当てで人々が訪れます。

でも当時ひっそりあったカルメル会は、煉瓦造りですが、ひとりひとりのシスターの修室には冷暖房がありません。人が集まるところに暖炉があります。とても湿気の多いところです。そういうところに15歳の女の子が入るわけです。しかも非常に厳しい苦行の生活です。肉を食べないのはもちろん、食べ物にも非常に厳しい規則があり、育ち盛りの子が入るようなところでは確かになかったのです。それらが重なって24歳で、結核で亡くなるということも、おそらくあり得るかなと思われる環境でした。

ここでテレーズのカルメルでの生活が始まります。このカルメルには彼女の3人の実のお姉さんがいます。先にふたりが入っています。あとのひとりは、セリーヌというすぐ上のお姉さんです。テレーズが修練長の補佐になっていたときに、セリーヌがなんと修練女として入ってきます。というのはお父さんの世話をしていたからです。

 

ただ、お姉さんたちがたくさんいるのは普通の生活では良いのですが、カルメルというのは狭い、せいぜい20人くらいの女性の社会です。その中にお姉さんたちがいるというのは、結構たいへんなことでした。皆さんも女性の社会についてご存じかもしれませんが、結構修道院の中にも派閥などがあります。

 

修練女 テレーズここで最初にいた、マリー・ド・ゴンザグ院長は非常に個性の強い人でした。もちろん立派な人ではあったのです。テレーズの真価を見抜いた人だったからです。おそらくテレーズのことを次の院長にしようと思っていたと思います。だからものすごく厳しく指導しています。そこにも苦しみがあった。なにしろテレーズは掃除のしかたを知らない人でした。四角いところを円く掃き、蜘蛛の巣があっても見ない……。それを注意されるなど、とても厳しく指導されました。

またテレーズはぐずでした。のろかったのです。ぐずぐずやっていると叱られて、手仕事をするのにも不器用でしたから、さっさとやってしまう隣のシスターに言われるなど、小さないろいろなことがありました。もちろんテレーズのことを見抜いていた院長さまとか、修練女もいましたが、この修道院の中で「すごいね」という感じでは全くなかったのです。

特に、テレーズは24歳で亡くなるので、この修道院の中では目覚ましいことを何もしませんでした。たとえばアビラのテレサのように何かを創立するとか、マザー・テレサのように貧しい人を助けるとか、そういう英雄的なことは何一つしませんでした。

だから、誰かが亡くなったときにいろいろな人に回す回状というお手紙に、普通は「○○長をして……」などと書くことがいろいろあるわけですが、24歳で亡くなるテレーズは、本当に責任をもって仕事を果たすことができず、補佐役と見られていた人です。それで最期が近いとき、テレーズが病気で寝ているその窓の横で、あるシスターが、「テレーズはいい人かもしれないけれど回状に何も書くことがないよね」と言ってしまったのです。テレーズは聞いていました。同じシスターの間でも理解されていたわけではありませんでした。

つづく