2014年9月28日(日)東京教区 関町教会において
ノートルダム・ド・ヴィ会員の 片山はるひ が
リジューの聖テレーズについての講話を行いました。
その講話を数回に分けてご紹介して行きます。
今回はその4回目です。
『闇』を貫く光 幼きイエスの聖テレジアの霊性
片山はるひ(ノートルダム・ド・ヴィ会員)
8.クリスマスの「奇跡」
ところが、1886年のクリスマス、12月25日、これがテレーズにとってのいちばんの転換点でした。この日の前のテレーズとこの日のあとのテレーズがいます。さきほどの写真はこの日の前のテレーズです。
「クリスマスの小さな奇跡」と彼女は言いますが、それは本当に小さな奇跡で、自叙伝を読んでも「どこが奇跡なの?」と思うくらいの奇跡です。
フランスではクリスマスに子どもたちは自分の靴を暖炉のところに置いて、親がその中にプレゼントを入れます。それを楽しみにしてミサから帰ってくるわけです。普通これは小さいときのことです。テレーズは甘えっ子だったので、14歳になってもやっていました。それを、深夜のミサから帰ってきて、いつもはすごく優しいお父さんが、たぶん疲れていたのでしょう、ちょっと嫌な感じになったのです。「ああ、まだこんなに幼いのか」と。そして「これも今年で最後だな」と言ったのです。それをテレーズは聞いていました。
お姉さんは「まあ、たいへん、これでクリスマスは台無し。ここで涙の嵐になって楽しいクリスマスはなくなってしまう」と思いました。ところが、テレーズはそれを、階段を上る途中で聞いたのですが、このとき彼女は戻って来て、にこにこしてプレゼントを取りに行きます。それがどれほど大きなことであったかということをお姉さんたちはよく知っていて、呆気にとられていました。テレーズ自身もその奇跡がいつ起こったのかわかりませんでした。でも自分が一瞬にして変えられた、その体験でした。泣き虫テレーズが“強虫テレーズ”になったのです。それがクリスマスに起こったのだということをテレーズはこう書きます。
この光に満ちた夜、幼子イエスは、
私の魂の闇を、光の奔流に変えてくださいました。
主は、私に対する愛から、ご自分は弱く苦しむものとなり、
私を強く勇気あるものとしてくださったのです。
(自叙伝 144頁)
おもしろいことに、これはひとつの身代わりのようなものです。全能の神が小さな幼子を抱きます。慈しみの力強い天地の創造主である神が、幼きイエスになった日です。そのとき赤ん坊だったテレーズは、イエスからの恵みによって、力強い者に変わり――あとからテレーズは自分のことを「戦士」とか「兵士」とか言うのですが――、確かにこのときから彼女の巨人の足取りが始まります。
それはものすごいスピードでした。まず知性が解放されます。綴り字を間違えていたテレーズが様々なことを理解していきます。もともと頭は悪い人ではなかったのにストレスでがんじがらめになっていたところ、それが取り払われたのです。
実はテレーズについて、今たくさんの神学論文が書かれ、きわめて多くの神学者によってありとあらゆる研究がなされています。彼女が書いたものには宝があるというのです。でもテレーズが知っていたのは、「これは私の力じゃない、神さまの恵みと力だ」ということでした。「でもこんな小さな自分に神さまがこれだけのことをしてくださった。だから他の人にも神さまは同じことを絶対にしてくださるはずだ」――.これが彼女の体験から来た確信です。
だから「神は愛である」と言ったとき、彼女の転換点は本当に小さななんでもないことなのですが、その奥にあるものは非常に深かったということです。
つづく