2015年3月23日

*二人の聖テレジア ーイエスの聖テレサ と 幼きイエスの聖テレーズ(4) 

[ NEWS ]

アヴィラの聖テレサ生誕500年祭(2015年)に向けて、2014年度カルメル誌で 掲載された記事を数回にわけてお届けいたします。

教会での公式名は二人ともテレジアですが、誌上ではスペイン語読みでテレサとフランス語読みでテレーズとします。ただしテレサとテレーズを一緒に呼ぶときは「二人のテレジア」とすることを、まずはじめにお断りしておきます。

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二人の聖テレジア ーイエスの聖テレサ と 幼きイエスの聖テレーズ(4)

 伊従信子

 

Ⅰ―テレーズと保護聖人アビラの聖テレサとの関わり

1)幼児期より

Ⅱ―幼きイエスのテレーズとマドレ・テレサとの関わり

2)カルメル会修道院にて

Ⅲ―マドレ・テレサの言葉に生かされて

今回Ⅲでは幼きイエスのテレーズとマドレ・テレサとの関わりをマドレの著作、『完徳の道』、『自叙伝』、『霊魂の城』を中心にみていきたいと思います。

 

1『完徳の道』より

 

1―「汚い宿屋で過ごすただの一夜」『完』40章9

  「悪い宿屋にただ一晩泊まるだけでも、ほとんど我慢できませんのに、このような場所を永遠のお宿、終わりない宿と定められるとは――。娘たちよ、わたしたちは安楽を望みますまい。ここでは(注:この修道院では)これで結構です。すべては汚い宿屋で過ごすただの一夜にすぎません。神をたたえましょう。この世では苦行をしましょう。」『完』40章9

このマドレの言葉はテレーズが、一八八八年五月一番上の姉マリー(み心のマリー)の立誓願準備黙想中(12~21日)に書き送ったメモ的な手紙の中に見受けられます。

「…丁度おしゃべりがしたかったとき途中で止めてしまいました(注:鐘が祈りのときを告げると、すぐに手紙の一文字さえ書こうとしなかったテレーズの忠実さ)・・・まったく人生は犠牲だらけですね!そうです!でもそれは良いことです!「むさくるしい宿屋で過ごす一夜」のようなわたしたちの人生ですもの、むさくるしいと言えば言えるような宿屋で過ごすよりも、むさくるしさの徹底した木賃宿で過ごした方がましではないでしょうか…。」

 

テレーズが十五歳でカルメル会修道院に入会して一か月ばかりしたころの手紙として『幼きイエスの聖テレーズの手紙』に納められています。実際にはちょっと長めの走り書きメモといったほうが正確でしょう。入会後テレーズが同じ修道院にいる姉たち(ポリーヌ、マリー)に書くのは、祈り、仕事などの合間のわずかな時でした。ですから文体などかまわず、また清貧への心遣いから使いふるしの紙切れか封筒の裏などにとても小さな字で急いで書かれていました。そのような状況の中でもテレーズのうちには母テレサの言葉がこだましています。

 

2―「千の命も投げ出す覚悟」

* 「多くの霊魂のただ一つを救うためにでも、わたしはよろこんで千の命も投げだす覚悟があるように思えました。」『完』1・2、

* 「永遠のおん父よ、あなたのためには千の命もよろこんで犠牲にする者の祈りをなぜお聞き入れにならないのですか。わたしどもは聞いていただく資格がありません。ただ、おん子のおん血と功徳のゆえにお聞き入れください。」『完』3・7

 

マドレ・テレサのこの熱い想いは、400年を経てフランス・リジューの修道院で生活するテレーズのうちにも躍動していました。

1896年5月30日ルーラン師(パリ外国宣教会)の宣教活動はゴンザガのマリー院長によってテレーズの祈りに託されました。その後6月23日には母聖テレサのように「愛と苦行によって宣教者になりたい」との思いをテレーズは書き送っています。

「あなたとご一緒に人々の救霊のために働けるのは、本当にうれしいことです。わたしがカルメル会修道女になったのも、このためでした。活動の宣教者となることはできませんので、わたしも、わたしたちの母聖テレサのように、愛と苦行とによって、宣教者になりたいと思いました。」

 

そして7月3日にルーラン神父は叙階後カメル会修道院で初ミサをささげます。応接間で霊的姉妹テレーズに会った神父はこれから向かう宣教地、中国スチュンについて語り、一冊の本をテレーズに残しました。その後セリーヌが撮った写真では、テレーズのそばにルーラン師からの本が置かれ、テレーズは一枚の紙を手にしています・・・その紙にはマドレ・テレサの言葉「たった一人の人を救うためにでもわたしは千の命をささげます」と書かれています。(『テレーズ写真集』29p)。

この同じ思いをテレーズは1896年7月16日作成の詩35「勝利の聖母に」の中でも歌いあげています。

  苦しみを わたしは求め 愛します

  わたしは 望みます 十字架を…

  ひとりの人を 救うために

    わたしは 千度でも死にたい!…(4節)

前年にイエスのアニェス院長から霊的兄弟として祈るよう言われたテレーズはベリエール神学生に宛てて次のような言葉を送っています。

「ご存知の通り、使徒職を果たしていないカルメル会修道女は、自分の召出しの目的から外れ、たった一人の霊魂を救うのにも、千も命を投げだそうとされた聖テレサの娘でなくなってしまいます。」 1896年10月21日

 

3―「わたしの祈りで、たった一人の人でも救えるのでしたら、最後の審判の日まで煉獄にとどまるくらい、なんでしょう。」『完』3章 43p

 

そしてマドレは続けます

「まして、たくさんの人々の利益と主のご光栄のためになるというのなら、なおさらのことです。いずれは終る苦しみなど、もしそれによって、わたしたちのためにあれほど苦しんでくださったお方に、もっと大きな奉仕ができるという場合、ものとも思ってはいけません。」

 

「いずれ終わる苦しみなどものとも思ってはいけません。」こう言い切るマドレ・テレサにテレーズの心には熱い思いがわき、ルーラン師へ書きます。

「娘たちが、自分たちのために祈ってほしいと望んだとき、聖テレサは、『わたしの祈りで、たった一人の人でも救えるのでしたら、わたしは世の終わりまで煉獄に留まってもよい』と言われました。このお言葉にわたしも心の中で共鳴するものを感じます。わたしも人々を救いたい、彼らのために自分を忘れたい。わたしは死んでからも、彼らを救いたいのです。ですからわたしの死後、あなたがお作りになった短いお祈りの代わりに、永遠にわたって成就されるはずの『神さま、わたしの妹がますます人々におん身を愛させることができますように』という祈りを唱えてください。」 1897年3月19日

 

テレーズは生前十回ほど自分の使命に関して確信のある言葉を残しています。「わたしは降りてきます、戻ってきます」「世の終わりまで、遠い島々の果てまで神の愛を伝えたい」(『小自』原稿B)、「私が愛したように人々に神様を愛してもらい、わたしの小さい道を人々に知らせる使命」など。人々に神を愛させたい、神の愛に応えさせたいというテレーズのせつなる思いが伝わってきます。

 

4―「何事によらず、女のようにではなく、強い男のようでありなさい。」『完』8章

 

テレーズは「わたしの回心の夜」と呼ぶご降誕の夜の出来事についてルーラン師に書いていますが、その中でテレサの言葉を呼び起こしています。

「神の歓喜を照らしだす夜わたしをすっかり変えてくださった、幼子の不完全さから解放してくださった夜。もし主が、ご自分の尊い力をわたしにまとわせ、戦いに備えてご自身で武装させてくださらなかったら、『何事によらず、女のようにではなく、強い男のようであってほしい』と、娘たちに口ぐせのように言っていらした聖テレサは、わたしをご自分の子供として認めてはくださらなかったでしょう。」1896年11月1日

 

以上のテレーズの手紙をとおして、具体的な日々の出来事の中でマドレ・テレサの言葉が自然にテレーズの口を突いて出てきています。400年の月日を経ても、平凡な修道生活の中でマドレ・テレサとテレーズが魂の深みで響きあいながら生きていたことをいくらかでも垣間見ることができるのではないでしょうか。

 

2 『自叙伝』より

 

1―「真実わたしを愛している人々はどんな人々かを知っているか?」『自』11章

 

テレーズが亡くなる年の6月22日、庭でマルタン氏が使っていた車椅子(氏の死後カルメル会に贈られた)に座っているテレーズをメール・アニェスが見舞うと次のように言いました。

「わたしたちの母テレサに主は言われました、『娘よ、真実わたしを愛している人々はどんな人々かを知っているか? 彼らは、わたしに背を向けるものはすべて偽りでしかないことを理解している人々である』と。主のこの言葉を、わたしは何とよくわかることでしょう。

おお、小さい母様、わたしはどれほど、これが真実であると感じていることでしょう!そうです、神さまの外にあるすべての物事は、みな虚無です。」

 

2―「愛の火をたやしてはいけません。」『自』30・20

  「この愛はまた、その活動を続けるために、燃料を常に求める大きな火に比べることができるように思います。わたしが話している人たちはその通りです。彼らはこの火の中に薪を投げ込み、それが消えないようにするため、もっとも大きな犠牲も喜んでするでしょう。わたしはこんなつまらない者なので、わら屑ぐらいなものしかそこに投げ入れることはできません。それでも、幸いだと思っています。時々、いいえ、非常にしばしばそれはわたしができるすべてです。ときとしてわたしはそれを笑い、またあるときはそれを大変悲しく思います。わたしは神に何らかの奉仕を捧げたいとの熱望にかられるのですが、それ以上のことはできないので、聖画を緑の葉や花で飾ったり、祈祷所の掃除をしたり、飾りつけをしたり、あるいはその他のあまりにもつまらない用事に携わりますので、ほんとうに恥ずかしいのです。」

 

幼きイエスのテレーズは1893年7日18日、次のような手紙をセリーヌへ書き送っています。

「聖テレサは『愛の火をたやしてはなりません』とおっしゃいっています。闇夜や乾燥状態のただ中にいるときには、わたしたちの手の届くところに、たきぎを見つけることはできません。けれど、少なくとも小さなわら屑を投げ入れて、火を保つのは、わたしたちの義務ではないでしょうか?もちろん、イエスさまは、お一人で火を保つだけの力を、十分お持ちです。それなのに主は、わたしたちが、火種を消さないために、ほんのわずかの物でもくべるのをご覧になって、満足なさいます。たった一つのこまやかな心遣いでも、主を喜ばせるのです。そして、主はたくさんのまきを火に投げ入れてくださいます。わたしたちには、それが見えません。けれども“愛”の熱の力が感じられます。

わたしは、これを経験しました。なにも感じないときには、祈ることも、徳を実行することもできません。この時こそ、世界の征服やおおしく忍んだ殉教にもまさって、イエスさまを喜ばせする、ほんとうにとるに足りない、小さな機会を捜すべきときです。」

(註:傍線はテレーズによる強調)

 

3 『霊魂の城』より  

 

1―「愛は実行で証明されなければならないのです。・・・娘たちよ、この愛は空想の産物であってはなりません。実行で証明されなければならないのです。とはいえ、主がわたしたちの業を必要となさると考えてはいけません。ただ、わたしたちのしっかりさだまった意志が必要なのです。」『城』3―1・7

2―「主とたえずご一緒にいれば、自分のことをほとんど考えないのは当たり前です。考えのすべては、どうしたら主をお喜ばせ出来るか、何をどのようにして、主に自分の愛をお目にかけようかということに集中しています。これこそ念祷の目的です。このためにこそあの霊的婚姻が役に立つのです。霊的婚姻からはいつも実行が生じます、実行が…。」『城』7―4・6

 

 

このように、すでに霊的婚姻にあげられた高い段階において、そこから生じるのは愛の業であるとテレサは述べています。テレサはすでにその状態(『霊魂の城』第七の住居)に達していました。愛が空想であってはならない、実行で証明されなければならないというテレサの娘、テレーズは「愛の実行」に関して次のように言っていました。

*  「その愛をどのように表すのでしょうか。愛は業によって証明されるのですから…。ああ、それならば、小さい子供は花を撒き散らしましょう。花の香りで王さまの玉座を香らせ、銀鈴のような声で愛の歌を歌いましょう。」『小自』257

* 「イエスさまがご覧になるのは、行為の大きさ、難しさではなく、どんな愛をもってこれをしたかだけです。」1888年10月20日 セリーヌへ(手121p)

 

4 その他の聖テレサの言葉より

 

1―「人生は一つの夢にすぎません」テレサexclamation 13

 

テレーズは1889年2月28日セリーヌにあてて手紙を書いています。「お姉さまに手紙を書くのに、あて名がカン市だなんて、そんなことがあり得るでしょうか。夢ではないかしらといぶかってみました…でもそれはやっぱり現実でした!」と。ますます様態が悪化した父マルタン氏に付き添いカンの病院に滞在中のセリーヌにあてた手紙の書きだしです。この年1月に着衣をした十六歳のテレーズは「主は人の心の血を最後の一滴までご自分のために要求なさいます。イエスさまが要求されるものをさし上げるには、どんなにつらい思いをしなければならないことでしょう!」と姉を励ましています。でもテレーズは「十字架を弱り果てながらも背負っていく」覚悟があると姉を励ました後に「『人生は一つの夢にすぎません』。まもなくわたしたちは眠りから覚めるでしょう。苦しみが大きければ大きいだけ、わたしたちの光栄もまた無限のもとなるでしょう。イエスさまが送る試練を無駄にしないようにいましょう。これこそ、発掘すべき金鉱です」と言う雄々しいテレーズです。

それから2年が経った1891年セリーヌはまだ父の看病をしています。父親を愛するテレーズにとってマルタン氏の病は重い十字架です。

「結局、人生とは一場の夢にすぎないのではないでしょうか。それなのに、この夢で、人々の霊魂を救うことができるとは!・・・ああ、セリーヌ人々の霊魂を忘れないようにしましょう。自分自身を忘れて、彼らのために尽しましょう。」7月23日 セリーヌヘ

 

2―「すべては過ぎ去っていく」(テレサの詩)

 

   何ごとも心を乱すことなく

                       何ごとも恐れることはない

                                      すべては過ぎ去っていく

                                                     神のみ変わることがない

                 忍耐はすべてをかちとる

                                神をもつものには

                                           何も欠けることがない

                                                                神のみで満たされる

 

1888年に修道院に入ったテレーズは、1889年1月10日の着衣以降白ベールの修練女としての生活がはじまりました。テレーズはこの聖テレサの栞を、かつて聖務日祷と呼ばれていた「教会の祈り」にはさんでいました。当時のカルメル会修道院では午前中に4つの小時課、午後に晩課、夕食後に寝る前の祈り、就寝前に読書と朝歌を唱えていました。そのたびごとに聖務日祷書のページは繰られていたのですから、この栞は日に何回となくテレーズの目に留まったことになります。9年間の修道生活のさまざまな状況の中でテレーズの心の糧となっていたのではないでしょうか。

* 「イエスさまが委ねられた尊いお役目(病む父の傍らで尽したセリーヌの献身的介護)を果たしているお姉さまを、わたしは心で追っています。お姉さまは一兵卒ではなく、大将です!…苦しむこと、もっと苦しむこと、いつも苦しむこと…でも『すべては過ぎ去ります』」。1889年1月 セリーヌへ

* 「神のみで満たされる」

 

14歳のテレーズは母の弟、叔父ゲランにカルメル会入会の許可を求めます。ゲラン氏は入会に全く反対はしませんが、「17,8歳になるまでは入会するなどと思ってはならない。それでも早すぎるくらいだ」と返事をします。その結果をテレーズは姉ポリーヌ(イエスのアニェス)に書きます。自分がひたすら望む入会は受け入れられず、孤独感を感じでいるテレーズは、その状況の中で保護聖人テレサに支えられ、さらなる信頼を神に置いています。

「イエスさまには、なにひとつ(テレーズの強調)お断りしたくありません!この地上でもの悲しく、一人ぼっちであるのを感じるときでさえ、わたしにはイエスさまがいらっしゃるのです。聖テレサも『神のみで満たされる』とおっしゃったではありませんか」。1887年10月8日

 

3―「主よ、あなたはこんなにひどく友を扱われます」『伝記』

 

* 1893年の暮れテレーズは叔父ゲランと叔母に新年のあいさつを送ります。「新しい年に、出来れば慰めだけを願ってやみません…がしかし、ご自分の友たちのために、どんな報いがとってあるかをご存じの神さまは、たびたびこの宝を犠牲によって手に入れさせるのがお好きです。」と書くテレーズは「神さまの友」に触れています。

「わたしたちの母テレサは主に微笑みながら主に向かって真実な言葉を言われたものでした、『神さま、あなたがあまり友をお持ちでないのに驚きはしません。あなたはこんなにひどく彼らを扱われるのですから。』」

 

でも神さまは送る試練のさなかでも(父マルタン氏の病状)何くれとなく細やかに心を遣ってくださると神の愛にテレーズは信頼しゲラン夫妻に「最後の一滴まで苦しみの盃を飲み干す覚悟」を告げています。

* マリーとポリーヌがマンの訪問会修道院の寄宿生のとき世話になったシスターM・アロイジアのために、テレーズは一枚の絵、「幼いイエスさまの夢」を描きました。「それは幼いイエスさまがわたしに対してどんな方であるかをお見せできたらと思って描いたのです。」と書き添えて(1894年4月3日)。

「テレーズのイエスさまは、母テレサに愛撫したようにはわたしにはしてくださいません。・・・いつも眠っていらっしゃいます。それも当たり前でしょう。娘は母にふさわしくないのですから。それでもイエスさまの閉じたその小さな目はわたしに多くのことを語ってくださいます。わたしを愛撫してくださらないので、わたしは彼を喜ばせようとします。」

 

4―「主よ、あなたに友がこんなに少ないのも、無理はありません。」『聖テレサ伝』

 

テレーズの三番目の姉レオニーは入会したカンの聖母訪問会修道院から家に戻らなければならなくなった一方、くければなりません、従姉のマリー・ゲランはカルメル会修道院に入会(8月15日)することになっていました。ゲラン氏が娘の入会を承諾し、姪のレオニーを家に引き取ってくれるという状況のなかで、テレーズはゲラン叔母さんに手紙を書いています。

「み摂理に委ねているゲラン叔父さんのおかげで、わたしたちの心痛もおのずと消え、優しい父の手に支えられているのを感じました。・・・聖テレサが主のためにいろいろの大事業を企てられたとき、十字架の重さに打ちひしがれていらした主に向かって、「ああ、主よ、あなたにこんなに友が少ないのも、無理はありません。こんなにひどく彼らをお取り扱いになるのですから」(『聖テレサ伝』ボランディスト著362p)と言われたのも、もっともです。聖女はまた別の機会に、「神さまは月並みの愛でしか愛していない人には、二,三の試練をお与えになるだけですが、特別の愛をこめて愛している人には、十字架を、いつくしみの愛のなによりも確実なしるしとして、惜しげなくお与えになります(『完』34章)とも言っていらっしゃいます。」1895年7月20日

 

5 マドレ・テレサの名をあげるテレーズ

 

1―「わたしたちの母、聖テレサのように、神さまが人々に「よりよく」知られ、愛されるように、『王の秘密を告げ、知らせる』(トビト12・7)ことをはばからないで、その受けた崇高な示現によって教会を富ませた聖人もあります。この2種類の聖人のうち、どちらが神さまのみ心にかなうのでしょうか。わたしはどちらも同じようにお気にいると思います。どの聖人もみな聖霊の働きに従ったのであって、『すべてはよいのです』」。イエスのみ旨だけを求めているならば、すべて良いのです。それで、貧しく小さな花であるわたしも愛する院長様を喜ばせようとして、イエスさまに従うのです。」『小自』270

2―「最初の兄をわたしにくださったのは、わたしたちの母聖テレサで、1895年にご自分の祝日の花束として送ってくださいました。」『小自』330

3―「一人のカルメリットの熱心は、全世界をも包容するものですから、神さまの恵みによって、わたしは二人だけでなく、それ以上の宣教師のために役に立ちたいと希望します。また、すべての宣教師のために祈ることも忘れません。それから福音を述べる使徒たちの務めと同じくらい難しい務めをもつ、普通の司祭方のことも除外しません。とにかく、わたしはわたしたちの母聖テレサのように、教会の娘でありたいのです。『小自』333

                                                    つづく

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『自』:『イエズスの聖テレサ自叙伝』昭和49年、中央出版社

『小自』:『幼いイエスの聖テレーズの自叙伝』改訂版、1996、ドン・ボスコ社

『手』:『幼いイエズスの聖テレーズの手紙』昭和53年 中央出版社

『写真集』:『テレーズ 写真集』1997、サン・パウロ社

『聖テレサの伝記』:ボランディスト著、1888年、パリ