神の慈しみ
このページが繰られる頃はまだ梅雨も明けないじめじめした日々が続いているのでしょうか。それとも青空に入道雲の夏日でしょうか。天候とともにともすると移りゆく私たちの心の動きをしっかりと「神の慈しみ」のうちにとどめておくことができますように。
自分でも愛せない惨めな自分自身からの開放、自由への門の鍵、このような鍵がはたしてあるのでしょうか。三位一体のエリザベットは、それは救おうとされるキリストへの信頼を深めることだと言います。「あなたのみじめさにこそ、神は慈しみの愛を注がれます」と。
もしもあなたの性格が戦いの対象であるならば、どうか落胆しないでください。悲しまないでください。あえて言いましょうあなたのみじめさを大事になさい。そのみじめさにこそ神は慈しみの愛を注がれるのです。
一人の友人への三位一体のエリザベット *
エリザベットのこのメッセージは現代のわたしたちに深く響きます。自分のみじめさを見つめて落胆する代わりに、みじめな、つまらない、罪深いものであるがゆえに、その泥沼から救おうとされるおん父の慈しみの愛に信頼するのです。自分のみじめさのうちにとどまってしまわないで・・・・。
伊従 信子
ノートルダム・ド・ヴィ
*『神はわたしのうちに わたしは神のうちに』、聖母文庫、聖母の騎士社