『現代人のための祈りの道 – アビラの聖テレサとともに』(8) 

2014年6月14日

例年、東京 上野毛にあるのカトリック上野毛教会聖堂で、四旬節中の日曜日に行われる
『カルメル会四旬節講話シリーズ』 

昨年は【神との出会いを求める人々の母 聖テレジア – アビラの聖テレジアのテーマに沿って:2015年・生誕500年祭に向かって】をテーマに5週に渡り行わました。

 そのうちの一つを、ノートルダム・ド・ヴィ会員の片山はるひが担当致しましたので、
その講話を9回に分けてご紹介しています。

現代人のための祈りの道:イエスの聖テレサと共に

片山はるひ(ノートルダム・ド・ヴィ)

 

 

テレサ的精神

 

最後に、祈ることがなぜそれほど大切なのかという根本的な点について、テレサに学んでみたいと思います。時に教会の中ではいまでも、いわゆる敬虔派と社会正義派との対立があるように思います。敬虔派はロザリオをふりかざし、社会問題にたずさわる信徒を不信心ものと呼んでこころよくおもわず、社会正義派は祈ってるひまがあったら活動すればどうかと、敬虔派をなじります。

実は、祈りと活動は決して切り離すことはできず、切り離すならば、どちらも不毛になるということを、テレサの教えと生き方が、はっきりと教えてくれています。テレサの出発点は、「火事」のようであるこの世界で生きる人々をどうにか救いたいという使徒的な熱意でした。

 「ちょうどその頃、わたしはフランスが被っている大変な試練のことや、ルター派の人々がした暴行や、このあわれな一派が恐ろしい勢いで発展してゆくことを知り、深い苦悩の内にありました。そして、まるで自分が、何かを成し遂げることのできるひとかどのものであるかのように、主の御前に泣き伏して、このような大きな悪に対して、何かなさってくださるようにと、一心に願いました。これほど多くの魂が滅びるありさまを聞いて、わたしの心は苦しみに引き裂かれました。滅びる人がこれ以上増えないことを願わずにはいられなかったのです。」(『完徳の道』 第一章)

 そこから、聖ヨゼフ修道院をはじめとする数多くの修道院の創設がはじまります。そこには、主との親しさを味わうのではなく、人々の救いとキリストへの愛のために戦う勇敢な人々が共に「教会の娘」として集められることになります。崇高な祈りの人であったテレサ自身は、旅から旅へという休む間生活の中で、いかなる使徒にもひけをとることなき活動家となったのです。ですから

テレサの教えはただ観想会のシスター達のためのものではなく、キリストの使徒となることを臨むすべての人のためのものです。

 

(つづく)