『わたしは神をみたい(Je veux voir Dieu)』より抜粋 :第8章 テレサ的精神( Espirt thérèsien) 第7回

2013年7月14日

ノートルダム・ド・ヴィの創立者 幼きイエスのマリー・エウジェンヌ神父の著書『わたしは神をみたい(Je veux voir Dieu)』 の中から、第8章 テレサ的精神( Espirt thérèsien) の日本語訳を2013年1月より10回に渡って連載しています。

 

『わたしは神をみたい(Je veux voir Dieu)』

p.116-126 第8章 テレサ的精神 (Espirt thérèsien )

  

主なる神は生きておられ、その御前に私は立つ。

私は情熱の全てをかけて、主に仕える。

 

(第6回からの続き)
  主イエスによって約束された「偉大な事」は、テレサにとって女子カルメル会の創立に限定されるものではなかった。そしてカルメル会改革の熱意を、男子カルメルにも拡げようと望むのである。

   だが、女子カルメルの創立には、寛大な許可を与えたルベオ総長も、男子カルメルの改革については、迷いを示した。しかし、テレサの切なる懇願に負け、後ほどついに要請された許可書を送ってくれることとなる。許可は、限定付きのものであったが、聖女を喜びで満たすには十分なものだった。

  迷うことなく、彼女は、この最も大切に思われる計画の実行に向けて働くこととなる。だが、この計画は同時に後ほど最も大きな苦しみと嵐のような混乱を招くもとともなる。この仕事は、彼女にとってどれほど、重要に思えたことであろう!なぜなら、跣足カルメル会士によってのみ、彼女の熱意と願いの全てが実現され、ようやくその理想が形を取ることになるからだ。

 

  「たいへんに不完全で、しかも女性なので」と彼女はつぶやく。神の栄光のために願うことを実現するためには、あまりにも自分が無力であるように思えたからだ。それゆえ、彼女の考えでは、学者、観想家、使徒であるカルメル会士、彼女の霊的息子達こそが、その無力を克服し、彼女の代わりに働いてくれるはずであった。こうして、彼らが彼女の娘達を支え、女子カルメルの運営を管理し、同時に教会のために戦って、魂の救いのためには、地の果てまで海を渡ってゆくことを望んだのである。テレサは、カルメル会士達に、尊敬と母のような愛を惜しみなく注いだ。それゆえ、彼女は、ドゥルエロで始まったばかりの跣足カルメル会士の生活があまりに厳しいことに心を痛め、悪魔が自らの夢見たものを打ち砕いてしまうのではないかと恐れたのだが、自らが理想とするような才能と恵みをグラシアン師のうちに見出した時には、喜びに溢れんばかりだった。

 

 その後、すぐにグラシアン師は、緩和カルメル会から離れた跣足カルメル会の初めの管区長となる。神の約束はこうして実現した。聖テレサの天才的な独創によりなされた偉大な事がらの中に、彼女の熱意と精神は、完全に開花したのである。

 つづく
日本語訳:片山はるひ
(ノートルダム・ド・ヴィ)