前回好評だった尊者マリー・エウジェンヌ神父の「十字架の道行」の一部を今回も掲載致します。
イエス十字架につけられる(第十一留)
二人の犯罪人も同様にされる。釘が手足に打ち込まれ、十字架は立てられる。
主よ、十字架上のあなたを拝みます。
あなたはその場所から、群集を見おろし、世界を見おろしておられる。
同時代の世界だけでなく、あらゆる時代の世界を。
十字架上のイエス・・・・なんと堂々たる見世物。十字架上より、あなたは統治する。今も、そしていつも。
十字架上の主よ、あなたこそ「生ける本」。
受難の本であると同時にあなたご自身と教会の数々の勝利を書き記した本。
「十字架のことば」を私に教えてください。
十字架は常に躓きの石、狂気の沙汰。
主に従おうと望むキリスト者にとってさえ、この「ことば」の意味を解き明かし、その教えを受け入れるのは、なかなか骨の折れること。
まして、それが実際の生活に適用される時、本当に理解しがたいもの。
にもかかわらず、「十字架のことば」は普遍的なことば、すべてのキリスト者、
すべての忠実な人々のため。
イエス、あなたをじっと眺めていたい。
このような姿を心に焼き付けておくために。
力つき、崩れ落ちる体、それを引き上げようと息苦しさにあえぐ胸。
サタンと、十字架刑の執行を勝利とみなす人々の冒瀆の言葉、罵倒の声も聞こえる。
主よ、
私たちの時代、またあらゆる時代の十字架につけられた人々のために祈ります。
イエス十字架に死す(第十二留)
三時間が過ぎた。
苦しみ、窒息しかかっている時、数分でさえ、長く感じられるというのに。
地上には暗闇が広がる。兵士らは十字架の下に座っている。
食べたり、無駄話をしたりしながら、十字架を見守っている。
聖なる婦人たちの中で、最も勇気あるものが十字架に近づく。
聖母マリア、そして、マグダラのマリアも。
ヨハネもひそかに忍び寄る。
十字架の下であなたを見つめ、耳を澄ます。
「渇く」
「父よ、彼らをお許しください。
彼らは、自分が何をしているのかわからないのです。」
「婦人よ、これはあなたの子です・・・これはあなたの母です。」
「私の神、私の神、どうして私を見捨てられたのか。」
それはあなたの嘆き、心の内に悲嘆、心の闇夜、ほとんど絶望にも近い嘆き。
あなたは永遠の昔より記されていた神のみ旨に目を注ぎ、それを読み終える。
「すべては成し遂げられた」
「父よ、私の霊をみ手に委ねます」
・・・・・・そして、息を引き取られる。
イエスよ、
あなたの最後の息を頂き、その行方を追い、その息吹にのって父のもとに行きたい。私の魂も、あなたの息吹に運ばれてゆきますように。
私の魂があなたの苦しみにより、大きく広がり、
豊かな実りをもたらすものとなりますように。
神の息吹、イエスの息吹、
受肉されたみことばよ、
その息吹をいただきたい、自分のものとしたい。
訳:伊従信子(ノートルダム・ド・ヴィ)