今年は3月の最終日がご復活です。このページを繰る頃は、まだ四旬節半ばの道程を歩んでいる日々・・イエスと親しく生きるためにマリー・エウジェンヌ師の「十字架の道行き」の一部をお届けします。
第一留 ――イエス、死刑の宣告を受ける
この宣告を 主よ、あなたはどのように受け止められたのでしょうか。
あなたは「いのち」であり、いのちを与えられる方。
イエスの体は震え、魂も打ち震えています。命である方が、死の宣告を受けるとは。・全能である神が自ら望まれたとはいえ、現実に恐れにおののく人性を持っておられるとは。死の宣告を前にして、確かにあなたは震えておられる。死とは、聖母マリアが与えられた体と、聖霊の与えた魂が分かたれること。もちろん、神性は常にあなたの体と魂に留まっている、でも人としての魂と体は別れてゆく・・・。
この死の時は 私たちにも訪れ、その時 魂と体は離れてゆく。
イエスよ、あなたが「その時」震えられたように、私たちも死を前にして、身震いする事でしょう。あなたは「いのち」であり、私たちは自分の生命を愛していますから。あなたの死の功徳により、私たちにも死を受け入れる事を教えてください。あなたも死を受け入れられたのですから、死の本当の姿を見る事ができるようにしてください。
第二留 ――イエス十字架を担う
主よ、処刑の道具が運ばれてきます。
この十字架は大いなる苦しみの象徴、与えられるのももどかしく、あなたは十字架を抱かれる。このしぐさは祝福となり、十字架はこの時より、私たちの希望となる。主は十字架を抱かれ、その上に釘付けられる。
主よ、この刑具、十字架を拝みます。そして同時に私自身の十字架も拝みます。
それは、苦しみ、試練、そして特にあなたが経験されたように、私たちにも訪れる死を意味しています。今から前もってすべてをお受けします。私の聖化にあなたが必要だと思われるすべての苦しみ、そして教会の神秘体を作り上げるための私たちの使徒職の一部である苦しみをも。
伊従 信子(いより のぶこ)
ノートルダム・ド・ヴィ