『わたしは神をみたい(Je veux voir Dieu)』より抜粋 :第8章 テレサ的精神( Espirt thérèsien) 第6回

2013年6月14日

ノートルダム・ド・ヴィの創立者 幼きイエスのマリー・エウジェンヌ神父の著書『わたしは神をみたい(Je veux voir Dieu)』 の中から、第8章 テレサ的精神( Espirt thérèsien) の日本語訳を2013年1月より10回に渡って連載しています。

 

『わたしは神をみたい(Je veux voir Dieu)』

p.116-126 第8章 テレサ的精神 (Espirt thérèsien )

  

主なる神は生きておられ、その御前に私は立つ。

私は情熱の全てをかけて、主に仕える。

  

(第5回からの続き)
 テレサは、偉大な預言者エリアの精神を完全な形で再発見した。そのエリアは、任務を果たすために、しばしば砂漠の孤独から離れて人々のところへ赴いた。書物を残した預言者達と区別するために、行動の預言者とも呼ばれる一群の預言者の中で、エリアは最も偉大である。イスラエルの歴史において、彼の働きは一番影響力のあるものであった。

 

ならば、テレサは、どうすればよいのだろう?活動に身を投じるべきなのだろうか?もちろん、そのような願いを感じずにはいられなかったはずだ。

 

 「これほど多くの魂が滅びているのかと思うと、私は死ぬほど悲しくなり、どうしてよいかもわかりませんでした。私は涙にくれて隠遁所に退き、主に向かって、すこしでもこれらの魂の救いのために主のために働くことができるようにと、叫び祈りました。主への愛から、千の死をおかしてでも、このような仕事のために働くことのできる人々がどんなにうらやましかったことでしょう。」(『創立史』、1章−7、21−22頁)

   

  実際に使徒職の場で働きたいという熱意には、イエスご自身がお答えになる。

 

「私がこのようにひどく悲しんでいたある晩のこと、主は、念祷中に、普通のお姿で現れ、まるで私を慰めようとなさるかのように、深い愛をこめて、『娘よ、今しばらく待ちなさい。あなたは偉大なことを見るであろう』と言われました」(『創立史』、1章−8、22頁)

  

 この約束は、何を意味していたのか?偉大な事柄とは、何を指していたのだろうか?

  カルメル会総長ルベオ師の訪問が、その内容をテレサに示すこととなる。この総長は、1566年のアビラ滞在中、聖ヨゼフ修道院こそカルメル会の始祖の願いを実現した修道院である、としてテレサの創立に深い愛情と理解を示す。そして、同じような修道院を望まれるだけ創立してよい、との許可を与えるのである。

 

  神がカルメル会の総長を通して語られたのであるから、もはや迷うことは出来なかった。それにこの命令は、彼女の新たな望みに添うものだった。世界はまるで火事のようであり、キリストは愛されていない。修道会の数も、力である以上、この祈りの城砦の数を増やさねばならない。そして、そこに、勇気あるキリスト者を集め、教会の勝利へと導き、人々を救うための完全な祈りの歌が響かなければならないのだ。

 

    それゆえテレサはアビラの聖ヨゼフ修道院において、孤独の静けさと平和のうちに生きる喜びを犠牲にし、1467年のメディナ・デル・カンポを初めとして、創立の難事業に挑むこととなる。

  彼女はその娘達の心にも、この熱意を吹き込み、祈りの知識を与えると同時に、その意向をも伝えてゆく。そして娘達もまた祈りがすべて教会のためでるような観想者、祈りの人となってゆくのである。

 

「ああ、キリストにおける姉妹たちよ、私と共に、主に願ってください。このためにこそ、主はあなたがたをここにお集めになったのです。これこそ、あなた方の使命、仕事です。それこそが、あなた方の願い、涙と祈りの目的でなければなりません。」(道、第一章、5、p.25)

 

  こうしてテレサは、スペイン中を歩き巡り、勇敢にも数多くの創立を行うこととなる。もっとも困難であったブルゴスの創立の帰りに、アルバ・デ・トルメスでついに倒れ、息を引き取るその時まで。この崇高な祈りの人は、比類なき活動家となったのである。彼女の力量は、ありとあらゆる分野にわたり、創立を実現するための大胆さ、その驚異的な仕事は、いかなる大胆な使徒にもひけをとらぬほどのものであった。

つづく
日本語訳:片山はるひ
(ノートルダム・ド・ヴィ)