『わたしは神をみたい(Je veux voir Dieu)』より抜粋 :第8章 テレサ的精神( Espirt thérèsien) 第2回

2013年2月14日

ノートルダム・ド・ヴィの創立者 幼きイエスのマリー・エウジェンヌ神父の著書『わたしは神をみたい(Je veux voir Dieu)』 の中から、第8章 テレサ的精神( Espirt thérèsien) の日本語訳を2013年1月より10回に渡って連載しています。

 

『わたしは神をみたい(Je veux voir Dieu)』

p.116-126 第8章 テレサ的精神 (Espirt thérèsien )

  

主なる神は生きておられ、その御前に私は立つ。

私は情熱の全てをかけて、主に仕える。

  

(第1回からの続き)
 当時、隣国フランスは宗教戦争の脅威のただ中にあり、また 新大陸の人々の置かれている霊的、道徳的悲惨の話には事欠かなかった。これらの話は、神の愛に生きようと決意した彼女たちの、イエス・キリストと親しく生きるのみ、という望みに新たな糧を提供したのである。

「ちょうどその頃、わたしはフランスが被っている大変な試練のことや、ルター派の人々がした暴行や、このあわれな一派が恐ろしい勢いで発展してゆくことを知り、深い苦悩の内にありました。そして、まるで自分が、何かを成し遂げることのできるひとかどのものであるかのように、主の御前に泣き伏して、このような大きな悪に対して、何かなさってくださるようにと、一心に願いました。これほど多くの魂が滅びるありさまを聞いて、わたしの心は苦しみに引き裂かれました。滅びる人がこれ以上増えないことを願わずにはいられなかったのです。」

                                (道 第一章、2、p.22-23) 

 宗教戦争による荒廃の話を聞いて、神への熱意に燃え立ったテレサの姿は、預言者エリアのそれを彷彿とさせる。カルメルの父であるエリアは、天使が

「エリアよ。ここで何をしているのか」と聞くと、

「わたしは万軍の神、主に情熱を傾けて仕えてきました。ところが、イスラエルの人々はあなたとの契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。」と答えた。

 

 「わたしは万軍の神、主に情熱をかけて仕える。Zelo zelatus sum pro Domine Deo exercituum」このエリアの心の叫びが、後、テレサの改革カルメルの標語となってゆくのである。

 

こうして、テレサはエリアの精神を完全な形で再発見した。エリアが神の正義への熱意に燃えてとすれば、テレサは神の愛への熱意に燃えていたと言えよう。それは、彼らが生きた時代の要請の違いから来ている。エリアは、恐れの掟の時代の人であり、テレサは愛の掟の下に生きていた。神の御前で、祈りの人となっていた二人の心には、時代は違っていても、似通った状況において、同じ熱意の炎が燃え立ったのである。

つづく
日本語訳:片山はるひ
(ノートルダム・ド・ヴィ)