祈りについて語ろうとすると、必ず出てくる問題があります。それをどのように解決していけばよいのでしょうか。マリー・エウジェンヌ師の助言に耳をかたむけてみましょう。
質問
祈りたいのですが時間がありません。小学生の子供を二人かかえていて、学校の行事や、最近は子供の安全のために色々な活動がまわってきます。日曜日に教会へ行くだけで精一杯です。しかも近頃の教会はやたら忙しくて…(30代主婦)
答え
もし祈る時間を毎日の生活のなかで確保したいなら、まず「時間の組み方」を考え直してみてください。わたしたち現代人はみんな多忙です。生活の中で1時間、あるいは30分でも祈りの時間をとろうとするのはとうてい無理だと思えるでしょう。仕事を変えたり、主婦やサラリーマンとしての仕事を放りださないと祈る時間などないと。でも、そのようなことをしなくても、生活全体を見直すことで時間はでてくるものです。わたしは超多忙の人々がけっこう長い祈りの時間をとっているのを知っています。ごく一般の人でも1~2時間の祈りをしています。1~2時間と聞くとびっくりするかもしれませんが、一日は24時間ですから、7時間の睡眠をとったとして、残った17時間をどのように使うか、その中から祈りの時間をどのようにして確保するかという問題です。
それにはまず考え方を変えましょう。祈りを「飾り」のように考えてはいませんか。祈りは信仰生活のプラスアルファではなく、睡眠や休息と同じほど必要なもの、少なくとも非常に有効なものです。ですから生活の時間を組み変える前に、祈りは必要なものだと確信することが第一です。たいていの場合、祈りはたいして重要ではない信心行のように思われているので、他のことを優先し、祈りは後回しにされてしまいます。1時間も2時間も祈らずとも天国に行ける、まあそうですが、信仰生活にとって絶対に必要であるということを確信してください。とくに、祈りを生活に組み込むと、心のバランスがとれるようになります。1時間の祈りは1時間の休息、とは言いませんが、生活のなかで心のバランスをとる1時間と考えてみてはどうでしょう。
祈る人は行動が早い、とはよく言われることです。人間的にみても、祈りの間にリラックスし、自分のもつ能力を高めることができる、つまり心のバランスがとれるのです。祈りで失ったように思える時間は、労働の密度が濃くなることでとりもどせるのです。
とは言っても、それぞれの状況、適性などに従って、祈りの時間をどのように、どれくらい確保していくかは当然異なります。ある人は2時間とれても、ある人は1時間とれれば上出来ということもあるでしょう。いずれにせよ、もし祈りが生活に何らかの影響を与えるように願うなら、30分はとっていただきたいものです。
アビラの聖テレサが『霊魂の城』のなかで、祈り(念祷と呼んでいます)を生活のなかに組み込むよう述べるとき(第Ⅱの住居)、テレサはすぐさま生活を規則ただしくするよう勧めています。もちろん生活の細部にわたって決めることはありませんが、おおよその時間割を作り、祈りをいつごろするかを決めておくことは必要です。
文:中山まり ndv