復活されたキリストは
わたしたちを呼んでおられます。 |
わたしたち一人ひとりを、
いつか知ることになる永遠の名によって
呼んでおられるのです・・・・。
その永遠の名は
すでに存在しています。*
幼きイエスのマリー・エウジェンヌ ocd
まだ肌寒い日、膨らみはじめた木々の芽にときおり白いものが舞い降りてきます。それでも今まで霜柱がたっていた大地からは新しい「いのち」が顔をもちあげはじめました。このページをくる頃は、色とりどりの花が春の訪れを告げ、自然界の「いのち」の饗宴が繰り広げられていることでしょう。今年のイースターは四月八日。春爛漫の自然とともに死と罪に打ち勝った「復活のキリスト」のいのちの勝利を祝い、復活されたキリストこそがわたしたちの希望でることをあらたに思い起こしたいものです。
復活されたキリストはわたしたちを呼んでおられるのです。わたしたち一人ひとりを、いつか知ることになる永遠の名によって呼んでおられます・・・。その永遠の名はすでに存在しているのです。*
神の似姿に造られた人間は、自分のうちに「呼ばれ応える」という相互性が刻み込まれています。人間の応えがどうしてそんなにも大きな喜びを神に与えるのでしょうか・・・それは、その人の人格から湧き出る自由な応えだからです。
日々の汚れ、いたらなさ、失敗、罪の闇に覆われていても、覆われているからこそキリストの復活の「いのち」をさらに固く信じ、希望し、おん父の慈しみに信頼しつづけましょう。神に近づくのにふさわしいものになるまで待つ必要はありません。
わたしたちの罪を贖い「いのち」の勝利に輝く復活されたキリストの喜びのうちに、
伊従 信子
ノートルダム・ド・ヴィ
*『神と親しく生きる いのりの道』より、聖母の騎士社