≪NDVアーカイブ≫ テレーズ と 聖母マリア ― 信じたかた、神の母(2)

2020年4月17日

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今回は2011年5月21日に掲載しました 『テレーズ と 聖母マリア ― 信じたかた、神の母(2)』をご紹介します。執筆者:伊従 信子(ノートルダム・ド・ヴィ会員)

(二)テレーズと聖母との親しさ

司祭になってマリアについて説教したいとまで望んでいたテレーズは、いったい聖母とどのようにかかわっていたのでしょうか。

 

すぐに、急いで、いつでも

姉のセリーヌが書いた『幼きイエズスの聖テレジアの教訓と思い出』によると、テレーズはどのような仕事をはじめるにあたっても「マリアへの祈り」を唱え、その仕事を聖母にささげていました。何か心配事や困ったことがあると、「すぐに、急いで」母マリアの方を向きました。ちょうど小さな子どもが何かことあるごとに、あるいは歩きはじめた子が一歩ふみ出すごとに「ママ」と呼ぶように、母マリアに単純なまなざしを向けることを身につけていたのです。そしてそのたびごとに、「もっとも慈しみ深い母親のように責任をもって、わたしのために計らってくださる」という確信を深め、聖母との絆を堅固にしていました。

ただ聖母に喜んでいただくために

   すぐに、急いで、いつでもマリアの方に心を向けていたテレーズが、「いうのも恥ずかしいことですが」と前置きして告白していることがあります。ロザリオを唱えるのは、苦行の道具を身につけるよりもテレーズにとってつらかったと。どんなにロザリオの神秘を黙想しようと努めても、どうしても精神を集中できず、聖母を「これほど愛しているのに」と、この不信心にテレーズはかなり長いこと嘆いていようです。この体験をとおしてテレーズは、子どもの善意だけをみて満足してくださる母マリアへの信頼をさらに深めてゆきます。

テレーズが亡くなる二十日ほどまえのことでした。子どものころに奇病から彼女を救ってくれた「ほほえみの聖母」像の足もとと手のなかに、テレーズは矢車草で編まれた冠を一つずつ置きました。それを見た姉メール・アニェスは、聖母の手の中に置いた冠はあなたのためのものでしょうといいました。「いいえ、聖母はお好きなようになさるでしょう。差し上げたのは、マリアさまに喜んでいただきたいから、それだけです」と答えています。何という繊細な、母マリアへの想い、愛! 死を迎えようとしている自分の苦しみ、死への勝利などを忘れ、テレーズは愛において自己から解放されていました。

 

母マリアをとおして祈る

このようにテレーズは「聖母を愛している自分」から、まなざし、思いを完全に聖母ご自身へと移行させるまでに聖母を慕い愛していました。 そして「主がわたしに対して遠慮なさることがないように」、聖母の取り次ぎを願います。母としてのマリアは、テレーズのどんな小さな望みであろうとも、どのようにしたらよいか知っておられますから。そしてまた、主に無理に願うことなく、すべてにおいてみ旨のままになるよう、聖母は取り計らってくださると、テレーズは信頼していました。

それで、姉たちが妹テレーズのために「美しい死」を願っていましたので、テレーズは姉たちを喜ばせるために「美しい死」を主に願いましたが、それも聖母の取り次ぎによっての願いでした。そして、「最も美しい死とは、十字架上のキリストの死でした。わたしが望むのはそのような美しい死です」と、姉たちに言い残すことも忘れませんでした。ここにもテレーズのこまやかな愛を見つけることができます。

聖母に祈って聞き入れられないとき、それ以上無理をせず、聖母のなさるままに任せ、そのことについて心配してはいけないとテレーズはいっています。亡くなる当日、まったく力が尽き、あえぎながら苦しい呼吸をしていたテレーズは、「どれほど熱心に聖母にお祈りしたことでしょう……けれども少しの慰めすらなく、まったくの臨終の苦しみだけです」といいますが、見捨てられたと思うのでもなく、愛にみちた信頼のまなざしを聖母像に向けていました。

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信仰の闇を歩まれた聖母にあやかって

「これほど主と聖母を愛していながら、このような考えがおこるとは!……でもわたしはそれに気をとめません。」

このような考えとは何だったのでしょうか。テレーズは死ぬ一カ月まえ、病室から見える墓地のそばにあるマロニエ並木の真っ暗な穴を指さし、「わたしの心も体もちょうどあの穴のようなところにいます。何とおそろしい闇でしょう」といいました。それは内的試練、測り知れない信仰の闇でした。

テレーズが四歳半で母を亡くしてからは、兄弟三人をふくめると、家族の半分は「天国」にいました。こうして幼少のころから「天国に行かれるかしら…」、「天国にいくには…」と祈り、徳をつみ、天国を目指してただひたすら生きてきたといえます。そして喀血し、死と直面するようになった一年まえころから、テレーズの前に立ちはだかったのはこの内的試練の厚い壁だったのです。

「死は、おまえの希望しているものを与えてはくれまい。それどころか、もっともっと深い闇、虚無の闇がそこにあるだけだろうよ。」(自278).

しかし、テレーズが同じ年の五月に書き残した詩のなかでは、心と体のこの苦しい試練に関してはまったく沈黙し、ただ十六節に、その試練との関連を読みとることができるだけです。

  天の王は  ご自分の母君が

  苦悩の闇に沈むことを望まれた

  マリアよ  地上の苦悩はよいことなのですね

  愛しながら苦しむ  それこそもっとも純粋な幸せ

  イエスは  わたしにお与えくださったものを

  何でも  取り返していいのです

  わたしには遠慮はご無用と  お取り次ぎください

  彼が隠れてしまわれても  わたしはかまいません

  彼を待ちましょう

  信仰が消える  暮れることのない  その日まで(『テレーズの約束』213p)

自叙伝のなかでのこの試練の沈黙について、テレーズは自ら述べています。

 「実際、わたしが今年作ったいくつかの小さな詩に表れている気持ちから推察すれば、   わたしは、信仰の幕がほとんど裂けそうになっている慰めに満たされた者のように見えるでしょう」(自280)。

テレーズは、聖母が信仰によって生きぬかれたことを強調していました。そして、その聖母にあやかって最後まで暗夜に信仰を生き抜きました。信仰のない人びとのために、「かたい黒パン」をかじっていることを自覚しながら。テレーズが生きた聖母とのかかわりは、単純、簡潔でありながら、その深淵はあまりにも深い。しかし、その深淵から湧き出る清水で、今もわたしたち不信仰者は潤わされているといえましょう。

                      伊従 信子

                   『テレーズを愛した人々』(女子パウロ会)より