≪NDVアーカイブ≫ 2010年9月掲載分 (福者幼きイエスのマリー=ユジェーヌ神父の言葉等)

2022年7月30日
サイゴンのカルメル会修道院にて

サイゴンのカルメル会修道院にて

今回は2010年9月25日に掲載しました 『神と親しくなるために(5)』をご紹介します。

執筆者:伊従 信子(ノートルダム・ド・ヴィ会員)

神は わたしたちの自由を       

尊重されるので

わたしたちのうちに

ご自分のみわざを

実現するために

わたしたちの自発的な協力を

求められます。

ここに 

神とわたしたちの働きの神秘があります。

―福者幼きイエスのマリー=ユジェーヌ神父 ocd―

神のみ摂理を信じているものにとって、出来事とか状況はたびたびもっとも確かな「神の意志の使者」ではないでしょうか。「神を愛するものたち、つまり、ご計画に従って召されたものたちには、万事が益となるように共に働くということをわたしたちは知っています。」(ロマ8・28)

神のみ摂理がもたらす日常生活の様々な状況において、信仰は目覚めていなくてはなりません。そこに恵みと光の源があるからです。*

神の愛に常に「はい」と応えること、毎日自分を新たにささげていくことは愛である神を魅了しないではいられません。こうしてわたしたちは尽きることのない神の神秘の深みへと入れられていきます。

教会においてわたしたち一人ひとりには使命があり、自分をささげることによってわたしたちを神のみわざに与らせてくれます。わたしたちは樹にとどまることによって実を結ぶ枝です(ヨハネ15・4-5)。

ですから、わたしたちのすることがどんなにつつましくても、神のみわざの豊かさを内に秘めているのです。教会において使命も召命も多種多様です。一人ひとり異なりますが、一つひとつの応えは愛の表現であり、教会のために神に自らをささげる行為なのです。

「愛は、ありとあらゆる召命を含み、愛はすべてである。ひとことで言うなら愛は永遠である…母なる教会のなかで、わたしは愛となりましょう。」9月30日の命日にあたりテレーズの言葉を思い起こします。

伊従 信子

『神と親しく生きる いのりの道』

聖母の騎士社、2009