現代の多くの人々が母の愛を求め、探しています。
「母がそこにいて、夜も見守っていてくれるなら、子の心は喜びに溢れ、力づけられ、確かな希望が与えられる。」
マリー・エウジェンヌ師が聖母マリアについて述べたこの言葉は、そのまま、マリー・ピラにあてはまります。彼女は、師とともに、ノートルダム・ド・ヴィを創立した共創立者であり、会を育て、深い愛をこめて、見守り続けた「母」であったからです。
真理の探求に魅せられ哲学を学んだマリーは、徹底的に神に自らを委ねて生きる道を探していました。そしてベルグソン哲学などの影響の下に、カルメルの霊性に次第に惹かれ、リジューの聖テレーズの自叙伝、魂の父となる十字架の聖ヨハネの著作の中に自分の魂の渇きを満たす糧を見出します。
1919年には、マルセイユに当時はまだめずらしかった女性のための高校を他の二人の友と一緒に創立し、校長となりました。が、この教育の仕事も彼女の魂の深い渇きを全て満たすことはできませんでした。
1929年、マリー=ユジェーヌ神父との出会いにより、マリーは、「全てを与えて生きる」ために、ノートルダム・ド・ヴィの初めのメンバーとなります。
その後、生まれてまもない会の責任者となり、カルメル会の要職にあって不在がちなマリー・エウジェンヌ師に代わって、ヴナスクの地で、会員の養成、指導、にあたったのは彼女でした。指導を受けた多くの会員は、彼女の精神の若々しさ、心暖かで忍耐強い応対、その洞察力と霊性の深さに、消えることのない印象を抱きました。
マリー=ユジェーヌ神父は、彼女がなによりも、「会の創立において、聖霊の働きへの最高の協力者であった」と語っています。
マリー=ユジェーヌ神父の死後、1973年にノートルダム・ド・ヴィを、女性・男性・司祭の三つの部から成る一つの在俗会という現在の形に完成したのは彼女でした。また、「わたしは教会の娘です」言ったアビラの聖テレサにならい、創立まもない司祭部の若い司祭達の養成に心を砕きました。
晩年、病との苦しい戦いのさ中、マリー・ピラは、すべてを教会のために献げ、完全な貧しさのうちに全てを受け入れ、小さきテレーズの「小さき道」を極みまで歩み通しました。
「いのちの聖母、わたしに真のいのちを与えてください。わたしたちの甘美な出会いの幕を裂いてください。」
このように、最後の言葉をつぶやき、マリー・ピラは、「聖霊に抱かれに」旅立ちました。
会員達に、
「愛する子たちよ、わたしの愛を残してゆきます。謙遜でありなさい。小さきものでありなさい…」
との言葉を残して。