マリー・ピラとともに、マリー=ユジェーヌ神父が創立したノートルダム・ド・ヴィに、最も深い影響を残した一人の会員がいます。彼女の名前は、ベルタ・グリアルーです。
ベルタは、グリアルー家の末っ子として生まれ、洗礼の代父は、アンリ、すなわちマリー=ユジェーヌ神父その人でした。生まれ故郷で小学校の先生をした後、パリでは、保険会社で働き、組合活動も積極的に行うなど、生気にあふれた女性でした。同時に、兄アンリと同じく、神からの絶対的な呼びかけを感じ、カルメルの霊性に惹かれて、第三会の会員となります。
こうして、ベルタとマリー=ユジェーヌ神父は、単なる血の絆を越えて、同じ恵みの絆で結ばれてゆきます。社会のただ中で、祈りの使徒として生きるというノートルダム・ド・ヴィの理想の原型を、マリー・エウジェンヌ師は、ベルタの生き方の中にすでに見出していました。
ベルタは、母を看取った後、創立されたばかりのノートルダム・ド・ヴィに入会します。学校などでの会計の仕事に加えて、会全体の会計という重責を負い、物資調達の仕事をも引き受けて、献身的に働きました。
1958年の突然の死まで、その献身と回りの人々への暖かな思いやりの他には、彼女を特に目立たせることは、何もありませんでした。
しかし、その死後、常に控えめで人前に立つことのなかった彼女の影響力が、しだいに明らかになり、マリー・エウジェンヌ師自身、自分とベルタを結んでいる深い霊的絆について触れ、自分が会に与えた教えを、ベルタが極みまで生き抜いた人であったこと、それによって、「ベルタは、会の魂であり、一致の絆であり、モデルである」と語っています。
ベルタは、「目立つこと」は嫌いでしたが、仕事上の責任を果たすためなら優れた指導力を発揮しました。そして、なによりも、神との親しさに生きた深い祈りの人でした。彼女がどれほど、小さきテレーズのような「愛に生きた」人、日常の小さな事柄に愛をこめた人、であったかは、多くの人々の証言が示しています。
ベルタ自身は、晩年に、「わたしは、何も持っていません。私のうちの貧しさは、深い淵です。わたしは、本当に貧しいものです」と語っています。その「貧しさ」が、十字架の聖ヨハネの説いた「無」の実現であることは、その死後、彼女の足跡に溢れる光によってはじめて明らかになりました。なぜなら、彼女の「貧しさ」は、回りの人々を富ませる愛で満ちていたからです。
「愛のないところに、愛を蒔きましょう。そうすれば愛を刈り取るでしょう。大切なのは、愛だけです。」
これが、ベルタの一見平凡な生涯に隠された非凡な愛の人生の秘密でした。
存在そのもので、愛を証ししたベルタの生き方は、ノートルダム・ド・ヴィの霊性に深く刻印されています。