6月2日木曜日は以前ご昇天の祝日として祝われていました。日本においては日曜日に移動されました。ご昇天から聖霊降臨まで、主が言われてように「聖霊が降るのを祈りのうちに待つ」九日間の祈り(ノヴェンナ)がいよいよはじまります。この時期に改めて聖霊と親しく生きるきっかけとなりますように・・・・
「預言者と聖人をつくるのは聖霊、わたしたちのうちに生きておられ、キリストという道を示される聖霊です。聖霊以外に聖化の手段はありません。」
マリー・エウジェンヌ神父がこのように述べたとき、師は自分の深い体験を語っています。聖霊を知り、体験することが師の全生涯の根底にありました。すでにカルメル会の修練期から師はこの愛の霊に強くとらえられ、魅了されていました。そして「聖霊の」思いを実現するために、聖霊に自分のすべてを明け渡し、信仰によって協力することを惜しみませんでした。師と聖霊との絆の強さは、ノートルダム・ド・ヴィの共同の創立者であるマリー・ピラの次の言葉によってもうかがい知ることができます。
「聖霊について語らなければ、マリー・エウジェンヌ師の神秘にふれることはできません。」
師自身、自分が聖霊に強くとらえられていることを知っていました。
「わたしが聖霊について話すとき、すぐに熱を帯びてくるのにみんな気がついていたことでしょう…わたしは聖霊を『わたしの友』と呼んでいますし、そう呼ぶだけの理由があると思います。」
聖霊と共に歩む
聖霊はわたしたちのうちで生きて働いておられる方、わたしたちはその方を体験しなければならないと、マリー・エウジェンヌ師は絶えず語っていました。聖霊に自分をゆだねるというのは、決して驚くようなことではありません。
「わたしたちに与えられためぐみにおいて、父と子と聖霊のひとつと特別な親しいかかわりをもつことがあります。アビラのテレサはイエス・キリストとの親しさに生きるめぐみをもっていました。使徒として生きるわたしたちは聖霊とより親しく歩みましょう。聖霊は御父と御子の霊ですから。」
このように語ることは、神の愛の最高傑作である教会の神秘の核心に入って行くことです。聖霊ご自身が御父と御子の愛、実体的な愛であり、その聖霊によって建てられる教会は愛の業だからです。
愛の霊に満たされて
マリー・エウジェンヌ師は、聖霊を愛として発見することによって、幼きイエスの聖テレーズと同じ霊的体験をすることになりました。師はテレーズとの深い絆に気づいていました。テレーズが神のうちの愛を発見し、その生涯はこの神秘を生きることによって貫かれていたのは確かです。テレーズがはっきり述べているわけではありませんが、しかしこの愛は聖霊以外の何ものでもなく、テレーズを導いてイエスとの深い親しさを生きるようにさせました。「愛に生きる」というのがテレーズの生涯の目的であり、マリー・エウジェンヌ師はそのことをきわめてよく理解していました。師は語ります。
「『愛』を願いなさい。それだけが唯一の祈りです。わたしは、自分が愛している人びとのためには、『愛』を願うことしかできません。それだけが価値あるものであり、あなたがたのために願う、唯一永遠の現実です。幼きイエスの聖テレーズはそのことにおいて天才的でした。『わたしに愛をください』と彼女は神に願っています。」
愛の霊はマリー・エウジェンヌ師を満たし、抗いがたく師を魅了しました。こうして師は死の前日、次のように呟くことができたのです。
「わたしは、聖霊に抱かれに行きます。」
そのしばらく前、師は自分の心の深みを明かしていました。その言葉は師の後に従って歩もうとするすべての人にとって、霊的な遺言となっています。
「わたしはあなたがたのために聖霊を願いたい。聖霊があなたがたの上にくだり、あなたがたがすべてがなるべく早く、『聖霊はわたしの友、わたしの光、わたしの師』と言えるようになるめぐみ、それをわたしの遺言として残します。神がわたしをこの地上に残しておかれる限り、わたしはあなたがたのためにそのめぐみを祈ります。そして永遠においても必ずそれを祈り続けるでしょう。」
~ 小冊子『聖霊を友に』より ~