
十字架の聖ヨハネの教えの底には、表面には必ずしも現れない神に至る渇き、突き上げるような望みがあります。聖ヨハネはさまざまな出来事を生きるにあたって、
福者マリー・ユジェーヌ神父(ocd)に導かれて
満たされない思いや、他のことに対する気がかりなどよりさらに高尚な何かを求めていたと思われます。ヨハネのこのような鎮まることのない思いは、神を見出すことによってはじめて満たされたのですが、それは神を渇き求め、神に触れていく度合いに応じてなされました。
「十字架の聖ヨハネの ひかりの道を行く」 伊従信子[編・訳]聖母文庫
どこに、お隠れになったのか
十字架の聖ヨハネ詩集 西宮カルメル会修道院 ドン・ボスコ社 霊の賛歌より
愛する方よ、わたしを嘆きの中に、うち捨てて?
鹿のように あなたは去って行かれた、
私を傷つけたまま…。
あなたを追って、呼びながら出たのに、
もう行ってしまわれた!
牧場の小屋小屋(ごや) 丘のあたりにいる 牧者たちよ、
私がこよなく愛している あの方を もし運よく 見かけたら
あのかたに言ってください、私は 病んで、悩んで、死にそうだと。
私の愛を 探し求めながら、
あの山々と かの岸辺を 通って行こう、
花も 積むまい、
野獣も 恐れまい、
数々の砦(とりで) 国境も 越えて行こう。
















