
十字架の聖ヨハネの教えの底には、表面には必ずしも現れない神に至る渇き、突き上げるような望みがあります。
通常この点は強調されていませんが、とても大切です。それは丁度エンジンであり、神の息吹、神へ向かいたい、どんなことがあっても、何にも妨げられないで神に到達したいと望む人のうちにある神の息吹なのです。
これはすべてを超えてゆく動き、すべてを通り越して神へと向かう動きなのです。
現代のような時代に、聖霊の巻き返しとでも言うのでしょうか。聖霊はある人々をとらえ息吹を送ります。
十字架の聖ヨハネは、聖テレサが説明した第四の住居から、霊的旅をはじめます。
この時期に、聖霊はその人のうちで、ご自分が舵を取ってその人を導こうとされます。
この時期に、人は完徳をきわめたいと望み、愛と離脱を実行し始めるからです。
「このような人において聖霊は働きはじめ、主導権を握る」
十字架の聖ヨハネ
十字架の聖ヨハネに、彼の後を慕ってわたしたちが歩むように願いましょう。わたしたちのまなざしを清めるよう教えてもらいましょう。わたしたちは多くの場合、わたしたちにとって助けになるものを、妨げとみなしてそこにとどまってしまいますから。
自分の弱さ、貧しさ、みじめさ、自分があまり利口でない、聖なる者でないとか(少なくとも自分で思い込んでいる聖性に照らしてみて)。実はこのようなことはわたしたちの信仰を清め、澄んだものにする手段なのです。全て手段となりうるのです。
こうしたすべての貧しさのうちにこそ信仰を打ち立て、神へと向かい、神のうちに浸る必要があります。*
「このうえ、何を望み? 外に何を探すのですか?あなたは自分自身のうちに、あなたの富、楽しみ、
十字架の聖ヨハネ
あなたが憧れ求めている愛する方を所有しているのに。
あなたの中で彼を望み、彼を礼拝しなさい、そしてあなたの外に彼を探し求めに行かないように。」
* 福者マリー・ユジェーヌ神父に導かれて
「十字架の聖ヨハネの ひかりの道を行く」 伊従信子[編・訳]聖母文庫
















