愛に生きるとは 限りなく与え
この世での報酬を 望まないこと
わたしは 数えることなく 与えよう
愛に 計算はないと確信して
わたしは わたしのすべてを与え
身軽になって わたしは走る
~テレーズの詩「愛に生きる」~
15歳でカルメル会修道院に入会したテレーズは、24歳で亡くなるまで、生前歌っていた「愛に生きる」人生の道を身軽になって走りぬきました。そして次のような言葉を残しました。
「もし、神さまがわたしの望みを聞き入れてくださるなら、私は天国にいながら世の終わりまで地上で過ごすでしょう。そうです、私は地上で善を行いながら、天国を過ごしましょう。」「私は死ぬのではありません、命に入るのです。」
テレーズは帰天後、全世界に神の慈しみの「愛の旋風」を巻き起こし、「現代のもっとも偉大な聖人」と呼ばれるようになります。帰天100周年の1997年には、教皇ヨハネ・パウロ二世から、女性では3人目の教会博士と宣言されました。テレーズが私たちに示すのは、自分の歩んだ「幼子の道」(小さい道)です。
「神の慈しみの愛は至るところで認められず、見すてられています。あなたはこの愛をあふれるばかり豊かに注ぎたいと望んでおられるのに。人の心はあなたの腕の中に飛び込んで無限の愛を受ける代わりに、造られたものの方に向かってそこに幸福とみじめな愛情とを乞い求めます」(自叙伝238)。
鷲の目と心を持った「うぶ毛の小鳥」テレーズは愛の太陽を見つめ続け、その神秘を悟ります。太陽の光りは自然界のすべてのもの、大木同様小さな花の一つ一つをそれしか存在しないかのように照らし、育み、「時」が来ると花を咲かせます。同じように慈しみの愛である神は、たとえどんなに小さな者でも、かけがえのない子として愛し、育んでくださいます。大切なことは愛の太陽の光と熱をさんさんと浴びることです。嵐の日も、大雨の日も、厚い雲・暗い空のかなたに輝く太陽にただひたすら信頼・希望することなのです。
ノートルダム・ド・ヴィ
伊従 信子