希望の巡礼者 信頼の道を行く 2025年11月

2025年11月1日

教皇フランシスコの帰天から、すでに半年が過ぎました。その後しばらくして「教皇の最後の手紙」と称する文章がインターネット上で広まりました。結局のところ、それが教皇ご本人によるものではないという見方もありますが、次のような言葉が記されていました。

「…毎日、顔を洗い、身だしなみを整え、鏡の前に立って生きてきました。
 その姿が「私」だと信じていました。しかし、ふり返れば、それはただの、
 一時的にまとう衣でした…結局この身体は、私の願いに関わらず、太り、
病み、老い、そして、静かに私から離れていきます。この世で本当に
 『私のもの』と呼べるものは、一つもありません。」

実際、教皇は2022年6月に遺言を残しており、その中で触れられていたのはご自身の埋葬についてのみでした。「亡骸はサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂に葬られるということ。」この事実は広く知られていますが、その選択には深い意味が込められていました。

「わたしの最後の旅がまさにこの古代の聖母巡礼聖堂で終わることを希望する。
   わたしはこの大聖堂にすべての司牧訪問の始めと終わりに祈りのために訪れ、自らの
 意向を信頼をもって無原罪の聖母に託し、その従順な、母なる配慮に感謝してきた。」

バチカンニュースより

それから2年後――復活の月曜日に、教皇フランシスコは静かに永遠のいのちへと旅立たれました。この日は復活した主イエスが聖母マリアに最初に姿を現された日と言われています。まさにその日に、聖母を深く慕い、信頼し続けた教皇が召されたことは、神の摂理を思わずにはいられません。教皇の「希望の巡礼者」としての巡礼は、聖母への信頼と希望のうちに、その大聖堂で静かに完成したのです。

紅葉に彩られた11月は、教会の典礼では死者の月。私たちは死んだ人に思いを馳せ、その方々のために祈る月として過ごしてきました。ですが、フランシスコ教皇の生き方を思い起こすと、祈るとともに、日々の生活そのものを祈りとして生きることの意味を教えられます。教皇は貧しい人々、存在を無視されて来た人々と共に、ご自身も罪を負う者としてのへりくだりと、神の赦しのうちに自由を生きようとした方でした。

私たちもこの死者の月を、亡くなった方々のために祈るとともに、日々の生活の中で希望とゆるしを生きる巡礼者として歩みたいと思います。
典礼年も11月30日より新しい年を迎えます。旅路の最後を歴代の教皇たちが眠る場所ではなく、貧しい者として質素に葬られることを願ったフランシスコ教皇のように希望をもって神の前で自由に生きるものとして、最後まで聖母に導かれながら、日々の生活を希望の巡礼者として、聖テレーズの信頼の道を歩み続けることができますように。

伊従 信子(いより のぶこ)
ノートル・ダム・ド・ヴィ