暑い夏も、コロナ煩いもまだ終わりそうにありません! ウィルス新 規感染者、三密状況、日本、そして全世界各地の情報が毎日提 示され、世界各地の教会活動、秘跡にあずかる機会の制限・停 止などに教会は直面し、今後の見通しもはっきりしていません。
今まで経験したことのないこのような状況下で自分も、家庭の者 も、また仕事場でもそれぞれの重荷を負ったロバのようにとぼと ぼ不安げに歩む続けるのでしょうか。
9月最後の日はリジューの聖テレーズの命日です。15 歳で修 道院に入り24歳で亡くなるまで一歩も修道院から出ることのな かったテレーズは死後、東洋への偉大な宣教者聖フランシスコ・ザビエルと肩を並べる「宣教者の保護聖人」に挙げられました。「私は死ぬのではありません。命に入るのです」と言い残し たテレーズ、神の慈しみの愛への信頼と委託を生き、帰天 120 年以上経た今日のテレーズの 「愛の使命」を疑うことはできません。
毎年テレーズの命日が巡ってきます。日本語の「命日(めいにち)」…この言い慣れ、聞き慣 れている言葉には、線香の香りとじめってとした墓場のイメージがつきまとっているようですが、「わたしを信じる者は死んでも生きる」とのキリストの言葉からは「命日いのちの日」の明るい 希望に満ちた響きがあるように思われます。テレーズも死を前にしてはっきりと言っていました。
私は死ぬのではありません。命に入るのです。
今年はコロナ禍で世界中多くの人々が直接的に間接的に「死」と直面することになりました。 そしてそれはいつまで続くかわかりません。でもその道程を不安にかられて、涙して歩むのでなく、その霧に満ちた道のりで「わたしは道、真理、命である」「わたしを信じる者は死んでも生き る」と言われたキリストを信じ、キリストとの関りを日々深めていくことができますように。そして 死を前にしてのテレーズの約束を思い出しましょう。
“まもなく私の使命が始まろうとしています。 私が愛したように、 人びとに神さまを愛させる使命が・・・”
テレーズの「命日」が多くの人々にとって 「いのちの日」として祝われますように。
伊従信子(いより のぶこ)
ノートル・ダム・ド・ヴィ