救い主の誕生をよろこび祝い、新しい年が始まってはや1か月の時がたちます。この世を支配し、人間を破壊する力に対し、神はまったく無力な存在として人間の歴史に介入され、分裂した人類に新しい一致をもたらされました。徹底的な無力さによって、神は私たちに慈しみを示されました。
神がこの地上をご覧になるとき、神は涙を流される。
力への渇望が人々の心を捕らえ、人間の精神を蝕んでいるから。
具体的には、まわりの人が自分に気づいてくれるか、評判はと常に気を配る。
隣りの人より自分は優れているか劣っているか、強いか弱いか、早いか遅いか、
いつも自分に問う。自分の存在、行動、活動範囲を少しでも自分の思うように
できそうなら、どんな力でも手に入れたいと思う。
自分の安全が脅かされそうになれば、すぐに手近にある棒切れや銃をつかみ、
たとえ他の何千もの生き残れない人がいても、自分が生き残ることが先決。
私は、自分の棒切れや銃が何であるかをよく心得ているだろうか:
より影響力のある友人を持ち出すことだったり、お金や地位や学位・
他の人にはないわずかばかりの才能・特別な知識・隠し持っている記憶・・・
時には冷ややかな目つき。その場を制することが必要なら、何のためらいもなく、
即座にこうした武器を手にとる。
自分がそうと気づくよりも前に、友人を押しのけてしまう。
神は、自分の存在を示したいがために
力を利用するこのような私たちを目にするたびに、涙を流される。
それは、神から、他の人々から、私たちを引き離し、
分裂を起こすものにしてしまうから。 ~H・ナーウェン~
今月26日は灰の水曜日、四旬節がはじまります!
人とそして救い主を受け入れる「出会いの日々」となりますように。
よい四旬節を!
伊従 信子(いより のぶこ)
ノートルダム・ド・ヴィ