神の恵み と その慈しみを受けるのには どうしたらよいのでしょう。
神はご自分の愛をわたしたちに注ぐために、何をわたしたちに求めておられるのでしょう。信仰によってわたしたち
まぎれもなく神に達するすることができると十字架の聖ヨハネは言います。
また福音書マタイ(8章)の百人隊長の信仰をも思い出してみましょう。信仰は、神とわたしたちを隔てている無限の距離を越えて神の愛、いのちに届くアンテナのようです。
信仰は闇夜でも見ることのできるフクロウにもたとえられます。知性、頭では理解できない真理、「わたしは道、真理、命」であると言われたキリストの言葉を信仰のまなざしは捕えることができ、その命で養われることができるのです。
日々の生活でどのような状況にあろうとフクロウの目をもって「神の慈しみの愛」、キリストによって与えられる命を信じて生きることができますように・・・「主がいわれたことはかならず実現する」と信じたマリアのように。
伊従 信子(いより のぶこ)
ノートルダム・ド・ヴィ