神はご自分の愛を
約束なさるだけではなく
それを見えるもの触れることの
できるものとなさいます
~教皇フランシスコ~*
うっとおしい梅雨の日、しとしと降る雨の中日ごと色を微妙に変えてゆく紫陽花が、日々の出来事に動き回っている者を静かに迎えてくれます。降りしきる雨にも、しとしと降りのときも、庭の片隅にじっと静かにたたずむ紫陽花。移り変わる日々の天候に少しづつ衣替えをしてゆくその姿に、わたしたちも神のいつくしみの雨の中に愛に変えられていくことができることを思いおこします・・・神のいつくしみに信頼し、希望するならば。
神はご自分の愛を約束なさるだけではなく、それを見えるもの、触れることのできるものとなさいます。愛は、決して抽象的な言葉ではなく、具体的な営みなのです。ですから日常生活の中で確かめることのできる、姿勢であり、行動です。
・・・「神はわたしたちの幸せを望み、わたしたちが幸せで、喜びと平和にみたれているのを見たいのです。キリスト者のいつくしみにみちた愛は、その神の愛と同じ波長をもたねばなりません。・・・おん父がいつくしみ深い方であると同じように、わたしたちもまた、互いにいつくしみ深い者となるよう招かれているのです。」*
今月の祝日、イエスのみこころ(3日)、聖母のみこころ(4日)、 洗礼者ヨハネの誕生日(24日)、ペテロ・パウロ(29日)のそれぞれの恵みが神のいつくしみの証し人となるようわたしたちを支えてくだるよう祈りつつ・・・。
伊従 信子(いより のぶこ)
ノートルダム・ド・ヴィ
*『イエス・キリスト、父のいつくしみのみ顔』特別聖年大勅書