テレサとテレーズ(3)

2016年1月15日

東京教区カトリック関町教会 テレジア祭2015の企画の一つとして
9月27日に片山はるひが『テレサとテレーズ』というテーマで講話を行いました。
その講話を10回に分けてご紹介していきます。

今回はその3回目です。

テレサとテレーズ

『テレサとテレーズ』(3)
片山はるひ(ノートルダム・ド・ヴィ会員)

新しい道
さて、ここからです。1554年の決定的な回心から、彼女は新しい人生を始めます。彼女は神からの光を受けてこういうことがわかってきます。
今のカルメル会は良い会だ。でも原始会則という、最初のとても厳しい徹底的な会則があったのにそれを忘れて、「まあいいかな」「まあいいかな」と、非常に生ぬるい生活になってしまった。私は徹底的に厳しい修道院をつくる。それはただ苦行をするということではなく、「私は神を見たい」といった「神への一致」を求め、そして徹底的に教会のために祈る、そういう修道院をつくろう、と。

アビラの聖ヨセフ修道院

神の光を受けて、その事業を始めたのが1562年です〔跣足カルメル会の創立〕。ここから17の修道院をどんどんと創立していきます。「ほっつき歩く女」といわれたとさきほど申し上げましたが、まさにそのとおりなのです。最初の聖ヨゼフ修道院を建てたとき、テレサは、そこに籠って、いわゆる禁域の中で、教会のため、司祭のために祈るつもりでした。ところが、そこにカルメル会の総長が来て、「これはすばらしい。あなたはこういうものを私の髪の毛の数くらい創立してよい」という許可を受けます。そして17になるのです。

 

 

 

十字架の聖ヨハネとともに
このような歩みに関連して申し上げなければいけないのは、十字架の聖ヨハネについてです。彼はテレサの同志、いわば霊的息子です。その当時、女性は、実際には“ほっつき歩かない”時代でした。司祭が必要だったのです。シスターの指導のためにも、またミサは女性にはできませんので、司祭が必要だったのです。そんなときに出会ってテレサが目をつけたのが十字架の聖ヨハネでした。彼も聖人であり、教会博士になります。このふたりが協力しながら17の修道院をつくっていきます。
ちなみに、十字架の聖ヨハネが書いたものはお世辞にもやさしいとは言えませんが、このヨハネの著作、とくに彼の詩を、17~18歳のときに読んだのが小さきテレーズです。「17~18歳のときに、このヨハネ以外の糧を私はもっていませんでした」と言うくらいに、テレーズが魂の師としていたのが十字架の聖ヨハネです。
地図さて、この17の修道院はスペイン全土にわたってあります。当時は、幌馬車か、ロバの背中に乗っての移動ですし、ありとあらゆる苦労をします。だいたいの創立が無一文からです。

 
テレサの有名な言葉ですが、「イエスのテレサと1レオン(1レオンは今の5円くらいです)では何もできません。でもイエスのテレサと1レオンと神なら何でもできます」というものがあります。このあたりにはマザー・テレサを思わせるものがあります。マザー・テレサは、よく「あなたは大きいほうのテレサでしょう」と言われますが、小さきテレーズなのです。ただ、遡ると一緒です。テレーズはテレサの娘さんで、その娘さんの名をいただいたのがマザー・テレサです。

つづく

〔2015年9月27日 関町教会聖堂にて〕

まとめ=関町教会広報部