東京教区カトリック関町教会 テレジア祭2015の企画の一つとして
9月27日に片山はるひが『テレサとテレーズ』というテーマで講話を行いました。
その講話を10回に分けてご紹介していきます。
今回はその1回目です。
『テレサとテレーズ』(1)
片山はるひ(ノートルダム・ド・ヴィ会員)
今日皆様にお話しするアビラの聖テレサとリジューの聖テレーズのふたりは、生きた時代は違いますし、性格も一見非常に違うように見えるのですが、お伝えしたいのは、この大テレジアといわれるほうが、実はいかに私たちに身近な存在かということ、また小テレジア、我々のテレーズが、実は非常に偉大な側面を持っているのだということです。
皆様はいろいろな機会でテレーズのことはおわかりだと思いますので、まずは恐らく皆様にとってあまり馴染みのないアビラの聖テレサのほうをご紹介したいと思います。
今日は、小さきテレジアのほうはフランス語読みでテレーズ、アビラのほうはテレサとスペイン語読みで申し上げます。ふたりのときには「テレジア」となりますが、そのように区別をしていきたいと思います。
アビラの聖テレサ:霊的な人々の母
16世紀スペインの人
1515年3月28日にアビラの聖テレサは生まれました。今を去ること500年、今年カルメルファミリーでは500年祭を世界中で盛大に祝っています。
彼女は16世紀のスペインに生まれた人です。16世紀のスペインといえば、思い出すのが「いよ! 国が見えてきた」で1492年、コロンブス〔の新大陸発見〕ですね。そして「以後よく」、1549年のザビエルの来日です。
そしてこのザビエルとアビラの聖テレサは、同時代人です。ふたりが出会ったことはなかったようですが、同じ時代を生きていました。ただ、ザビエルやイグナチオ・ロヨラのいわば息子さんたちであるイエズス会士とアビラのテレサは、非常に親交がありました。彼女にとっては霊的指導者でもあり、また彼女が自分の霊的体験によってイエズス会士たちに光を与える、そのようなかたちで交流がありました。
当時はキリスト教の黄金時代で、たくさんの聖人が生まれ、大航海時代ですのでスペインから海を渡って特に南アメリカにたくさん出かけて行く。そしてザビエルも極東に、インドから日本にまで来てくださった。そういう非常にダイナミックな、沸騰しているような、そんな時代にアビラの聖テレサはいました。
テレサのイメージ
さて、アビラの聖テレサといいますと、いろいろな絵とか彫刻がたくさん残っています。その中で一番有名なのはローマにあるベルニーニの作品で、いわゆる脱魂というのでしょうか、魂が吸い取られて、目はさまよい、いわゆる聖人の神秘的な恵みを受けた姿がもっともよく知られています。
アビラに行ってもそのような像がたくさんあり、天使がたくさんいて、天使に心臓を貫かれている絵ですとか、いろいろなものがあります。
ただ、私はそれには違和感を覚えるほうなのです。というのは、皆様もそうだと思うのですが、あまりにも、いわゆる「異常な恵み」というのでしょうか、イエスに出会ったとか、イエスはこう言われたとか、そういう方と今の時代を生きる私とはいったいどういう関係があるのかということになります。すごい人だったかもしれないけれど、今いろいろな悩みを抱えている私とはどういう関わりがあるのか、ということです。
これは、エンカルナシオンという、彼女が最初に入った修道院の前にある像ですが、歩いている姿です。脱魂云々というのが本当ではないということではないのですが、おそらく生涯のほとんどのテレサの姿はこれです。杖をもって歩いている。彼女のことを悪口で、「ほっつき歩く女」という人もいました。たしかにテレサのしたことを見ると、「歩いている人」です。
当時のカルメル会
1535年、カルメル会に入会しますが、彼女はこのカルメル会を改革した人なのです。
そのカルメル会が当時はどういう状況かというと、彼女が入ったとき、この修道院には150人のシスターがいました。しかも、今の修道会とは全く違います。当時は、「うちは子どもが多いよね、女の子が5人か。じゃあ、3人くらいは修道院に入れて口減らしをするか」……そういう時代なのです。だからその子がどう思おうが問答無用で、「3人入ってこい」という感じで、特に貧しい家から入れられましたし、貴族は貴族で年金付きで入れました。
そのように修道院の中に大きな格差があった時代です。
テレサがそうだったのですが、貴族は、アパルトマンといって、いくつもの部屋をもち、自分専用のチャペルがあり、そこで美味しいものを食べている。一方、口減らしで入ったシスターは食べるものもなくて、「あなたたち、自分たちで食い扶持を稼いできなさい」と言われて、町に行って物乞いをしないといけない、そういう時代でした。
ですから、いわゆる今の修道院の生活ではなかったということです。
お祈りも「したいときにすればいいんじゃない?」といい、祭日なども「あなたたちはお金持ちだからお祝いできるよね」という、そういうあり様の修道院でした。カルメル会ですけれども。
そこにテレサは入って、最初は病気になるなど大変なことがあったのですが、結局満足して暮らしていました。当時はそれで良かったのです。それで良いシスターだったのですね。それが、だんだんと、イエスがそういうテレサに満足しなくなったのです。
彼女は、心の底で、どこかいつも神を探していた人でした。
〔2015年9月27日 関町教会聖堂にて〕
まとめ=関町教会広報部