10月18日にバチカンにおいて教皇フランシスコにより、幼きイエスの聖テレジア(リジューの聖テレーズ)の両親が列聖されました。日本では余り知られていない、この2人の生き方と聖性を6回に分けてご紹介しています。今回はその2回目です。
執筆者はノートルダム・ド・ヴィ会員 中山真里さんです。
聖テレーズの両親 聖ルイ・マルタンと聖ゼリー・マルタン(2)
ゼリー
ルイの未来の伴侶となるゼリー(本名はマリー-アゼリー・ゲラン)は、ルイに出会ったときは26歳で、ルイより8歳年下でした。しかし、年齢の差だけではなく、二人の間にはその家庭環境において大きな違いがありました。ゼリーはルイのような幸福な家庭生活を送りませんでした。父親は憲兵で生活は苦しく、一家は貧しく生きることを与儀なくされました。母親は敬虔なカトリック信者でしたが厳しい人で愛情深いとは言えなかったのです。善良ではあっても無愛想な父親と、信仰深いとはいえ厳しい母親の間でゼリーは苦しみました。彼女は後に弟のイシドルに書き送っています。「わたしの子供時代、そして青春時代は経帷子のように寂しいものでした。」しかし、ゼリーは同時に両親からどのような試練にも立ち向かう勇気と強い性格、そして宗教的な敬虔さを受け継ぎました。とはいえ、幼いときは病弱で、青春時代には絶え間ない片頭痛に悩まされていたのも、家庭環境に原因があったと言ってもあながち間違いではないでしょう。
ゼリーの支えは後に聖母訪問会の修道者となる姉のエリーズ(本名はマリー-ルイズ)、そしてゼリー自ら母親のようにかわいがった10歳年下の弟イシドールでした。この弟はいずれ幼いイエスの聖テレーズの人生のなかでも大きな役割を果たしていきます。
姉の影響もあったからでしょうか、ゼリーも修道生活を考え始めます。そして修道会として深い祈りとめぐまれない人々への愛徳の業を結びつけた会を選んだのも、幼いころから恵まれない家庭生活を送ってきたゼリーとしてはごく自然のことでした。しかしルイのときのように神が望まれたのはこの道ではありませんでした。ゼリーは次のような祈りを書いています。「神様、わたしは姉のエリーズのようにあなたの浄配となるにふさわしいものではありませんので、結婚をしてあなたのみ旨を成就したいと願います。ですからどうぞわたしにたくさんの子供を与えてください。そして彼らがみんなあなたに奉献されたものとなりますように。」こうしてゼリーは人生の方向を変え、仕事に自分のすべてを賭けることを決意しました。有名なアランソン刺繍がゼリーの心をとらえました。手先の器用さ、繊細さ、そしてレース模様を作り出すための知性を必要とするこの手仕事にゼリーは見事な才能を発揮したのです。やがて彼女の仕事が人を雇い入れるまでになったとき、ゼリーはわずか20歳でした。
ゼリーがアランソン刺繍に全勢力を傾けている同じころ、先ほど述べたようにルイの母
親はアランソン刺繍の教室に通い、そこで出会ったゼリーに、彼女は最愛の息子の伴侶を
見出したと確信したのです。しかしそれとは別に2人は橋の上で偶然すれ違い、ゼリーは
ルイに強く惹かれます。こうして2人は出会い、結婚しました。
結婚式は少数の親族・知人に囲まれながら夜に行われました。2人は夜の静けさのなかで相互に与えあうことを誓ったのです。夜の中で少数の親しい人々にのみ見守られて行われた結婚式で、2人がもっとも価値を置いたのは、お互いを与えあう婚姻の秘跡でした。1858年7月13日のことです。
つづく
文:中山 真里